第9章 授学無学人記品 その1



阿難と羅ご羅
逆境を乗り越えて人間釈迦は成長した。



◎阿難と羅ご羅(あなんとらごら)

この「授学無学人記品」は阿難と羅ご羅をはじめとして、多くの弟子たちが授記を授けられた因縁を説いている。

この品の題名である「授学無学人記品」の学無学とは、学人と無学人ということである。学人というのはこれから学ばばければばらない人、無学人とは学ぶべきことがない人、つまり、卒業した人のことである。

無学とは学ぶべきものなしという最高の位である。

この品ではこれらの人が授記を受けることを説いている。

この品で一番先に授記を受けるのは阿難羅ご羅である。

阿難は釈尊のいとこであり、提婆達多の弟である。兄の提婆達多は生涯釈尊と対立して仏の敵となり、多くの罪を作ったのに対して、弟の阿難は25年の長い間、仏の弟子となり、侍者として仏に仕えたのであった。


法華経の「提婆達多品」の中で、釈尊は正しい悟りを得られてあまねく衆生を救うことができるようになったのは提婆達多のおかげであるといっている。

しかも、提婆達多を「善知識」とよんでいる。

釈尊に迫害を加えた提婆達多の存在によって、釈尊が人間として大きな徳と力をそなえることができたのを感謝しての言葉である

続きは次回…


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第9章 授学無学人記品 その2



十大弟子
画像は参照



◎阿難と羅睺羅(らごら)その2

阿難はの十大弟子のひとりで、多聞第一と呼ばれた。大変気持ちの優しい人であって、どんな困難にも耐え忍んで、ひたすら釈尊に仕えた。

この阿難と共に授記を受けたのが羅睺羅であった。

羅睺羅は釈尊が出家する前、太子であったころヤシュダラ妃との間に生まれた王子であった。

父の釈尊の教えを受けて後には十人の弟子のひとりとなった。

自らは決して目立つようなことはしないで、人に教えを説くときも「一緒に修行しよう」というだけであったので「密行第一」と言われた。

阿難はいとこ、羅睺羅は実子であったが、この二人も菩薩の行を積めば必ず仏になれることを許したのであった。



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第9章 授学無学人記品 その3



衰える
誰もが老との戦いが始まります!


夢がないと、肉体も精神も早く衰えてしまいます。

三浦雄一郎さんの精神を見習うべきです!



◎肉親を救う

阿難(あなん)と羅睺羅(らごら)は

「世尊よ、私たちにも仏になれるという保証を与えてくれませんでしょうか。私たちはひたすら仏に帰依しております。また、天上界や阿修羅界に住む全ての者から私たちが仏の弟子であることはよく知られております。阿難はいつも仏の侍者として仏の教えをお守りしておりますし、羅睺羅は仏のお子様です。もし、仏になれるという記を授けられれば、私たちの願いも達せられるし、多くの人々の望みも叶えることができると思います。」

このように申しました。

すると、この法会(ほうえ)にいた弟子たち2000人が一斉に座から立ち上がって一心に合掌して仏の姿を仰ぎ見ながら阿難と羅睺羅と同じ願い心の中で一心に念じていた。

仏も即座に

お前たちも来世にいおいて必ず仏になれる

という保証をお許しになった。

阿難と羅睺羅は仏にとって肉親にあたる。この肉親の二人を感化できた釈尊は偉大である。

自分の子供や妻を教化できないものは、人に教えを説く資格がない

自分の近くにある者を教化できなくて遠い他人を救えるわけがないのである

また、阿難、羅睺羅もけっして仏を肉親とは思わず、師として仕え、誰よりも熱心に修行に励んだのであった。

またこの二人が世尊の弟子であることは人々がよく知っていたことである。

二人が授記を自ら仏に名乗り出たことは、この二人の意思と決心を示したものである。

続きは次回…


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第9章 授学無学人記品 その4



一歩一歩と
一歩一歩、山登りをするように.....



◎仏道を学ぶには

僧とは、「和合」の意味であって,仏の弟子たちはどんな人であってもすべて和合して生活しなければならない。仏もまた同じ仲間の中にあって和合の中で教えを説こう、と言われたのである。

「増一阿含経」では、僧とはまず,よい行いをする人であり、また戒律を厳守し三昧、智慧、解脱,知見を完成する人でなければならない。

僧は世の中の福徳を生み出す大いなる原因であるから,世間の人はこれを敬い、礼拝しなければならないと説いている。僧は真理を求める和合の集団であるり、仏もまたその中の一員として教えをお説きになられるのだという。

阿難は「持法者」と呼ばれた。

持法者とは教えを護持する人のことである。法を守り伝えていく人のことである。

世尊は、阿難が自分が死んだ後も教えを必ず守護してくれるひとと信頼して「持法者」と言ったのである。

※仏道とは「仏の開かれた道」であると同時に、「仏になる道」である。

※仏道の因縁は菩薩として一切衆生を救うことである。利他行を行うことである。

※菩薩行を立派に果たすことによってついに仏道を完成することになる。


菩薩の行いを一歩一歩学んでゆく道が「仏になる道」に通じるのである。

続きは次回…


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第9章 授学無学人記品 その5



実行する
(画像参照)


仏道を求めるものは実行することが大切である。


◎実行することの大切さ

法会(ほうえ)に参加していた新発意(しんぼっち=志をたてたばかり)達は、今まで授記を与えれれた優れた菩薩達よりも、声聞である阿難がこのような立派な仏のお言葉をいただいたことはどういうことなのか、という疑問を持った。

この大衆の疑問をお察しになった仏は、皆に向かって
「私は前世において阿難と一緒に発心した。ところが、私と阿難とは修行のやり方が違っていた。阿難は多聞(多くの教えを聞くこと)を願い、私は教えを不断に実行することに努力したのです。
こういう違いがあったために、私があ何よりも先に仏になれたのです。

しかし、阿難はこの世において私の教えを受けて、佛の教えを護持し、将来にわたって多くの菩薩達を教化し、その人たちの修行を完成して、仏になるでしょう。そこで阿難にこの記を与えたのです。」と言われました。

阿難は、自分は前世から仏の教えを弘めようという願いを持っていたことをはっきりと自覚することができた。

この経文で大切なことは、前世において、仏は実行し努力することを願い阿難は多聞を願ったということです。

仏道を求めるものは実行することが大切である。

仏教には「智目行足(ちもくぎょうそく)」という言葉があるが、これは、智と行が兼ねそなわらなければ悟りに到達することができないという意味である。

智目は教え、行足は実行のことで、理論と実行があいまって、悟りに入ることが出来ることをいう。

智目だけ発達して行足が弱いのが現代人である

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第9章 授学無学人記品 その6



仏の道
「仏になる道」を悟ろうと決心すればこの決心の功徳はあまりに深遠であり、あまりに広大であるという


 
◎願いの実現

阿難は自分が仏の教えを 世に広めようとする願いを持っていたことが、仏から授記を与えられて、その願いをあらためて自覚することができた。

仏教には四弘誓願(しぐせいがん)という教えがある。

第一には.....一切の衆生を救おうと誓うこと。
第二には.....煩悩を断ち切ろうと誓うこと。
第三には.....教えを学ぼうと誓うこと。
第四には.....仏道を完成しようと誓うこと。

仏教徒である限り、どんな人でもこの願いをもたなければならない仏教徒共通の願いと言ってもいい。

願いとは、思い続けること、努力し続けることである

意志のあるところ、努力するところ、必ず実現されるものである。

どんなことでも、その願いを実現させるために実行し、さらに「願いは必ず成就できる」ということを確信する必要がある。

思うこと、願うことを不断に行うならば、必ず道は開けるものであり、願いは実現するものである。

「願い」とは、別の言葉でいえば最初の発心「初発心」といってよい。

菩薩が一筋に仏道を求め、「仏になる道」を悟ろうと決心すればこの決心の功徳はあまりに深遠であり、あまりに広大であるという

最初の「発心」は深遠広大な功徳を、無限の時間をきわめても説きつくすことができないという。願いとは「発心」することである。

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第9章 授学無学人記品 その7



修行層
蜜行とは外に現さないで人を導く行為をいう。(画像参照)



◎蜜行第一

阿難に対する授記を終えた世尊は、続いて羅睺羅(らごら)に授記を与える。そうして蹈七宝華如来(とうしつぽうけにょらい)という名前になると告げられた。

たくさんの仏にお仕えして常にその仏の子となって仏の教えを受けるということは今のお前が私の子となったと同じであるとお説きになった。

そして、その蹈七宝華如来(とうしつぽうけにょらい)の国土の美しさや寿命の長さなどは阿難が仏になった山海慧自在通王如来(せんかいえじざいつうおうにょらい)のときと少しも異なることがないと言われた。

「私が太子であったとき、羅睺羅は私の子であった。今、私が悟りを開いたとき、羅睺羅は私の弟子となり法子(ほおす=教えの子・弟子)となった。未来の世の中において数限りない多くの仏の御子となって、一心に仏道を求めるであろう。羅睺羅の蜜行は私だけが知っている。」

蜜行とは外に現さないで人を導く行為のことである
内は智慧すぐれた人であるにかかわらず、外には愚かな人のように振舞うことである

あまりに優れた能力を持った人は敬して遠ざけられ親しみがわかないものである。
そうなると、人を教化することもできない。そこで自分の能力をできるだけ包み隠して
「自分は愚かなものであるが、なんとか仏の教えを実行しようとしている。もし、やる気があれば一緒に修行しようではありませんか。」
というような態度のことを「蜜行」というのである。

遇者のように行動し、世間からは何も認められなくても、ひたすら道を求めた羅睺羅こそ「蜜行第一」とよばれるにふさわしい。

父は自分の子の姿を冷静に見つめ、そして父親に純粋に師事することが普通はとても大変である。見る目に狂いが生じるからである。しかし、羅睺羅にはそのようなことは毛ほどもなかった。ただひたすらに父を教えの師として仕えたのであった。

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第9章 授学無学人記品 その8



仏と出会う喜び
仏と出会う喜び!(画像参照)



◎授記の歓喜

阿難と羅睺羅(らごら)の授記が済むと、仏はさらに他の人々に対しても、菩薩として修行を続けてゆけば、みな仏になれるということをお告げになった。

学、無学の2000人の人々は柔軟な心持ちで、清らかな心で、仏を仰ぎ見ていた。

世尊はこれらの2000人の人々もたくさんの佛に仕え佛の教えを守って十方の国々で佛の悟りを得ることができよう。

その時は皆同じ名前の「法相如来」となるであろう。


その国土は美しく飾られ、そこには声聞や菩薩たちがおり、仏の教えがよく行われ、守られる時代が続くであろう、と言われた。

大勢の人々は仏から授記を授けられ未来には必ず仏になれるということを聴いてその喜びを偈文で表した。


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第9章 授学無学人記品 その9



不死の薬
仏の教えは、不死の薬である。(イラスト参照)



◎授記の歓喜その2

世尊は慧(え)の灯明なり。われは記を授けられる音(みこえ)を聞きたてまつりて、心歓喜に充満すること、甘露をもって灌(そそ)がるるが如し。

仏の智慧はともし火のように明るく、一切の人々の心を照らし、迷いを取り除いてくれる。私たち皆が仏から必ず仏になれるというお言葉を聞いて、その心に大きな喜びが満ち溢れました。その心の歓喜は何ものにも喩えることができない。ちょうど甘露をそそがれたようなものである。というのがこの偈文(げもん)の意味である

甘露とは不死の薬であり、仏の教えを不死の薬に喩えているのである。

この偈文は「世尊慧灯明(せそんえとうみょう)、我聞授記音(がもんじゅきおん)、心歓喜充満(しんかんぎじゅうまん)、如甘露権灌(にょかんろけんかん)」と読まれる有名な偈文で、日常お唱えすることによって、仏に対する深い感謝を表すことができる。

ここで授記が一段落したが、後で「提婆達多品(だいばだったぼん)」で提婆達多に、「勧持品(かんじぼん)」で憍曇弥(きょうどんみ)と耶輸陀羅(やしゅだら)に授記が行われ、すべてが終わることになる。

舎利佛(しゃりほつ)という優れた弟子に始まって,次第に仏弟子たちに及び、前段階の終わりには釈尊の御子である羅睺羅(らごら)やいとこにあたる阿難(あなん)にまでも授記したのであった。

これによって、声聞の徒であっても、菩薩の道を一心に修行していけば、最後には仏になれることがはっきりした

日蓮上人は「知恩報恩」ということを言ったが、まず、恩を知ることそれが恩に報いる気持ちになる。それでは授きを与えられた人々が恩に報いるにはどうしたらよいか。

仏に恩を返す必要はない。恩を他に施していけばよい。恩を他人に施す道は、仏の教えをひろめ、仏の教えを伝えることである

そこで仏の教えを説く人、法師(ほっし)が必要となる。

どんな迫害にも屈することなく、「法華経の教えを人々に弘める法師について説き明かすのが、次の「法師品」である。

次回は第10章 法師品です。


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プロフィール

白蓮の香り

Author:白蓮の香り
白蓮堂のブログにご訪問ありがとうございます。神界、霊界、人間界(魂.心.肉体)は綿密に繋がっています。少しでも多くの人々に真実を知っていただきたく思い仏教の中での最高峰の経典、「法華経」をご紹介させていただきます。私(渡辺西洲)が勧める¨本物の法華経¨と出遭えたなら、あなたに、奇跡が起きます! 一人でも多くの人にご縁がありますように ....... (合掌)

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