第15章 従地涌出品(じゅうじゆじゅつぼん)その1



合掌1
従地涌出品(じゅうじゆじゅつぼん)、大事な教えです。


※是(こ)の諸(もろもろ)の菩薩等(ぼさつら)は 志(こころざし)固(かた)くして怯弱無(きおくれな)く、無量劫(むりょうこう)より来(このかた) 而(しか)も菩薩の道を行ぜり 難(むつか)しき問答(もんどう)に巧(たくみ)にして 其の心に畏(おそ)るる所無く 忍辱(にんいく)の心は決定(けつじょう)し 端正(たんじょう)にして威徳(いとく)あり 十方の仏に讃(たたえ)られて、 善能(よ)く分別(ふんべつ)し説(と)けり 人衆(ひとびとのあいだ)に在(あ)ることを楽(ねが)わずして、常(つね)に好んで禅定に在(あ)り 仏道を求んがための故(ゆえ)に 下(した)の空中に於いて住(じゅう)せり。



◎大地から湧き出た菩薩

この従地涌出品(じゅうじゆじゅつぼん)は「法華経」の迹門の最後の品にあたり、この後は本門にいり、「如来寿量品」が説かれる。
この従地涌出品の前半は、本門の序文にあたり、「従地涌出品」の後半と次の「如来寿量品」第十六と「分別功徳品」第十七章の前半までが「一品二半」と呼ばれ、「法華経」で一番大切な教えが説かれる。「正宗分(しょうしゅうぶん)」といわれるものである。

だからこの「従地涌出品」は極めて重要な教えが説かれた品なのである。日蓮聖人も「観心本(かんじんほんそんしょう)」のなかで、寿量品と前後の二半、これを正宗とす。
といっており、日蓮聖人が最も大切な品であることを明言している。

この「従地涌出品」の教えが重要であるのは「法華経」をこの世に弘めるためには、他の世界から来た者の力を借りないで、この世界にいるものが自分たちの手で教えを弘めなければならないことが強調されていることである。
「法華経」を弘めることができる人は「大地から湧き出した菩薩」でなければならないということが、この「従地涌出品」で説かれる。

大地から湧き出した菩薩とは、他の世界からやってきた人ではなく、この大地から湧き出した人、すなわち、この現実の生活にあって様々な苦しみをした人大地の生活を実際にしてきた人こそ、仏の教えを弘める立派な資格をもつのである

日蓮聖人はこの「従地涌出品」の意味を自ら深く感得し、自分たちこそ地涌の菩薩としての使命を果たすべきである。と弟子や信徒を励ましたのであった。日蓮聖人は「開目抄」のなかで、

日蓮が法華経の智解(ちげ)は天台、伝教にも千万が一分にも及ぶ事なけれども、難をしのび、慈悲の勝りたることは、怖れをも懐きぬべし。

といっている。日蓮聖人は「法華経」の研究については、天台大師や伝教大師の千万が一分にも及ばないが、この世界においては難儀を忍び、その中にあって人々に大いなる慈悲を抱いたことに関しては自分は決して二人の大師には負けはしないといっている。この日蓮聖人の自負が地涌の菩薩としての使命感にもえ、あれだけの布教を成し遂げることができた原動力となったのである。

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第15章 従地涌出品(じゅうじゆじゅつぼん)その2



雲水1
法華経の教えを一人でも、世に弘める功徳は.........。




◎虚空から大地へ…理想の実現

他の国土からやってきたたくさんの菩薩が、大勢の人の中から立ち上がり、合掌して仏に敬礼して、「もし私どもが仏の滅度の後において、この娑婆世界にあってこの経を弘めることをお許しくだされば、私たちもこの経を弘めるために大いに努力しましょう。」と申し上げた。そのとき、仏がたくさんの菩薩たちに言われた。「それはせっかくだがやめてもらいたい。この娑婆世界にもたくさんの菩薩が降り、これらの人々が熱心に教えを弘めてくれるから、あなたたちは結構です」と。

他の世界から来た菩薩の手助けを断ったということは、この地上の菩薩にしっかりやれという意味を含んでいる
仏がこのお説きになると、その時娑婆世界の三千台国土、すなわち世界全体の大地が震動して、その中から無量千万憶の菩薩たちが湧き出てきた。この地面から湧き出た大勢の菩薩は、身は金色をし、三十二相という見事な特相を」たたえ、身から光を放っている。この菩薩たちはずっと以前からこの娑婆世界の下にある虚空の世界にすんでいた。下の虚空の世界にいながら、上の地上の世界に出る準備をしていたところ、釈迦の声が聞こえたので、いっせいに下から湧き出したのであった。

その地面の底から出てきた菩薩は、皆偉い菩薩で「大衆唱導の首」であった。大衆唱導の首とは、大勢の人々を導いてゆくものの中でも、先達者、指導者としてその中心になる人のことである

ひとりで世の中に出て、教えを弘めるものも、多くの仲間を連れて教えを弘める者も、その価値は同じであることを経文は教えてくれる。たった一人でも不惜身命の誓いを立てて教えを弘める人も偉大であり、志を同じくする仲間と一緒になって教えを弘める人たちも偉大である。とにかく一人でも何万人でもその価値に変わりはない


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第15章 従地涌出品(じゅうじゆじゅつぼん)その3


従地涌出品
四弘誓願(しぐせいがん)。



◎四人の菩薩たち

この大ぜいの菩薩が大地から出て、釈迦と多宝(たほう)仏の所へ行った。この二人のお方は虚空(こくう)にある七宝(しつぽう)で飾られた塔の中におられた。そうして御足(みあし)に頭をつけて礼拝し、右に廻ること三たび、合掌礼拝し、仏を誉めたたえた。大地から湧出(ゆじゅつ)した菩薩が長いあいだ、仏を誉めたたえれば、釈迦仏は黙然としてこれを聞いていた。大衆もまた長いあいだ黙然としていた。

このおびたたしい菩薩衆のなかに四人の導師がいた。そのすぐれた菩薩の名は、第一が上行(じょうぎょう)、第二が無辺行(むへんぎょう)、第三が浄行(じょうぎょう)、第四が安立行(あんりゅうぎょう)と呼ばれた。この菩薩の名前は適当につけられた名前ではない。これを仏教徒の一つの誓いに当たる「四弘誓願」(しぐせいがん)にあてはめると次のようになる。

  衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)   (安立行)(あんりゅうぎょう)
  煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)  (浄行)(じょうぎょう)
  法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)  (無辺行)(むへんぎょう)
  仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう) (上行)(じょうぎょう)

この仏教徒としてもっとも大事な誓いをあらわしているのが、この四人の菩薩の名前である。上行は一番の行い、この上ない善い行いである。無辺行は広大無辺な教えを全部学びとろうということである。浄行は煩悩をなくし浄らかな人になることである。安立行は大ぜいの人々を安らかにしてやることである。この菩薩の名前に上行、無辺行、浄行、安立行という名をつけたのは、このような理由があるからである。四弘誓願のなかでいちばん究極の最高の誓いが「仏道無上誓願成」(ぶつどうむじょうせいがんじょう)であり、仏法を学ぶ根本はここにあるから、上行菩薩が最初に名前を出しているのである。

この四人の菩薩は、大ぜいの菩薩のなかの一番上のなかの一番上の者で唱導(しょうどう)の師である。自分が先に立って人々を励まし導く役目をするのが唱導ということである。この四人の菩薩が大勢の人々の前に立って、それぞれ合唱して釈迦仏を見上げて、仏さまは憐(あわれ)みも、ご苦労もなく安穏(あんのん)に教えを弘めておられますが、衆生を教化(きょうけ)するのにお疲れになることはないでしょうか、また大ぜいの衆生はお釈迦さまのお心持ちのとおりにその教えを理解して、その教えを信じているでしょうか、と申しあげた。

そこで、仏は自分の気持ちはこのようだ、と四人にお答えになった。お前の言うとおりであると言われた。私は、「諸(もろもろ)々の衆生は化度(けど)すべきこと易(やさ)し。疲労あることなし」と言われた。どんな人でも必ず仏教に帰依(きえ)するにちがいない。今は仏敵になっている者も、必ず最後は仏教に帰依することを釈迦仏は確信していたのであった。現世だけの縁(えにし)ではなく、過去においても、それらの人々は仏を供養し、仏を重んじ、善根を植えてきたのである。このような人々が仏のお姿を見、仏の声を聞き、仏の教えを信じ、仏の智慧をそなえることができろはずである。

菩薩の方々は、衆生の教化(きょうけ)はたいへんですね、さぞかしお骨が折れましょう、と言ってお慰めしたのであったが、仏は、いや骨が折れるとは思わない、どんな者でも必ず教化(きょうけ)します、と言われたのであった。このことを強調し、繰り返し偈文(げもん)でお説きになった。


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第15章 従地涌出品(じゅうじゆじゅつぼん)その4



弥勒菩薩
仏が保証した未来仏。弥勒菩薩!


◎弥勒菩薩の問い

その時、仏は「お前たちはよくぞ仏に対してありがたいという気持ちを起こしてくれた」といわれた。仏も心からお喜びになった。
すると弥勒菩薩をはじめ大勢の菩薩たちは我々は昔から今に至るまで、このような立派な菩薩が地より湧き出して、今ここに現れ、仏の御前で合掌し、仏のご機嫌をうかがって、ご苦労はございませんか、といっているようなことを見たこともなければ聞いたこともない、と思った。

弥勒菩薩はこのように大勢の菩薩が考えたことを代表し、大勢の菩薩たちの気持ちを察して仏に向かって合掌して質問した。
弥勒菩薩はたいへんに思いやりのある方であるから、大衆の疑問に代わって代表して質問されたのである。

そこで、弥勒菩薩は偈文をもって質問した。「今、仏の前に現れている大勢の菩薩たちは、昔から未だかつて見たことのない人たちです。自分たちにこの菩薩たちのことを是非とも説いてお聴かせください。これらの大勢の菩薩たちはいったいどこからきたのですか、また何の因縁でここに集まってきたのですか」と。

そのとき、他方の国土から来たたくさんの釈迦牟尼仏の分身の諸仏が、八方の宝樹の下の獅子座の上で結跏趺坐(けっかふざ)をしていた。これらの諸仏の侍者が、地から出てきた菩薩が、仏がおられる虚空にいるのをみて、一体この菩薩たちはどこから来たのか教えてくださいと申し出た。
すると十方の仏たちが、自分の侍者に言うには、お前たちしばらく待て、それは自分が説明しないでも、誰かが説明してくれるはずである。それは弥勒という菩薩で、その菩薩は仏がすでに必ず成仏できるという保証、すなわち授記を与えた菩薩である。その弥勒菩薩がこの地下から涌出した菩薩は何者であるか、と質問しているから、仏がきっとそれにお答えになるであろう、と言った。

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第15章 従地涌出品(じゅうじゆじゅつぼん)その5



観音経
法華経を宣伝する人の資格とは。



◎地涌(じゆ)の菩薩の資格とは

その時に釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)に告げたまわく、善哉(よいかな)、善哉、阿逸多(あいつた)乃(いま)し能(よ)く仏に是(かく)の如き大事を問えり。汝等(なんだち)、当(まさ)共に一心に精進の鎧を被(き)、堅固(けんこ)の意(こころ)を発(お)こすべし。


この経文からが「従地涌出品」の後半の部分に入る。これは最初に述べたように「法華経」の「寿量品」を中心とした「一品二半」(いっぽんにはん)」の部分に入ることになる。いよいよここから、釈迦牟尼仏というのは永遠不滅の仏が人間の相(すがた)を取って現れたものに過ぎないことを説明する準備の段階になる。「寿量品」を中心としてその準備的な「涌出品」の後半の部分、その余論である「分別功徳品」の前の半分、すなわち「一品二半」こそ、日蓮上人が最も重要視したところであり、「法華経」の眼目といわれるところである

そのとき、釈迦仏は弥勒菩薩にお告げになった。「このような大事な問題をお前が皆に代わって尋ねてくれたのは大変けっこうなことだ。自分は大切なことを説くのだから、しっかり聴かなければならない。お前たちは一生懸命、努力するために『精進の鎧』を着て、気持ちをゆるめないで学んだことをしっかりと実行する気持ちを起こさなければならない」と。世尊はこの意味を再び説くために偈文を説かれた。

他の世界から大勢の菩薩が来て、是非とも私たちに「法華経」の教えを弘めさせてください、と仏に申しあげたところ、仏はきっぱりとそれをことわった。それから、地涌(じゆ)の菩薩が出てきたのであるが、この菩薩たちは人に教えは説きたくない、人の中に出たくない、独りで静かに引っ込んでいたい、と言った

自分から進んで教えを説きたい人や、人の中に出たい人は本当の教えを説く人ではない。ほんとうに静かに道を求めて努力精進している人こそ「法華経」を宣伝する力のある人にほかならない。世尊はこのことを重ねて偈文でお説きになった。

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第15章 従地涌出品(じゅじゆじゅつぼん)その6



法華経4.22 2016

人は何度も生まれ変わり、(善き縁があれば)再び法華経と出合える。



◎人中の宝とは

「法華経」を弘める資格をもつ菩薩たちは、釈迦仏の教えを繰り返し習い、昼夜に常に精進して、混じりけのない清浄な心持ちをもって仏道を修業し、仏道を求めるために、娑婆世界の下の空中に住している。
しかもどんな誘惑にあっても、それに乗ることなく勤求(ごんぐ)している。さらに「種々の妙法を説いて、その心畏(おそ)るる所なし」 といわれるように教えを弘める場合、どんな人に対しても畏れを抱かないことことが必要である。

ここで重要なのは、「仏道を求めんが為の故に、娑婆世界の下方の空中に在って住す」 という点である。
苦しい娑婆世界で修行するからこそ仏に成れるというのである。

仏はブッダガヤの菩提樹の下で本覚、すなわち悟りを得た。それから教えを説かれた。仏の教えはどんな人にも及んだ。この地から湧き出してきた菩薩にも教えが説かれた。仏の教えを聞いた地涌の菩薩も初めて道心を起こした。仏道を求めたいという気を起こした。しかもこれらの地涌の菩薩たちは「今、皆不退に住せり」というから、その発心求道(ほっしんぐどう)の志を持ち続けていた。仏はここで

 ※ 我、今、実語を説く、汝等(なんだち)一心に信ぜよ。我、久遠より来(このかた)、是等(これら)の衆を教化せり

という。自分はここで本当のことを言いたいから、お前たちしっかりと信じなければならないといって「我、久遠より来(このかた)、これらの衆を教化せり」 といった。
この経文では初めのほうでは仏は菩提樹の下に座り、最正覚(さいしょうがく)を成じたといい、最後の面ではこのように言う。これは確かに矛盾ではある。菩提樹の下で悟りを開いてから数えたのであれば、それから教えを説けば死ぬまでにたったの四十余年にしかならない。しかし一方では、久遠の昔から教えを説いているといっているが、実はこの矛盾、この問題の解決こそが次に説かれる「寿量品」にほかならない

この仏の話を聞いた弥勒菩薩や大勢の菩薩たちが上に述べたような疑惑を持った。仏は説法してから四十余年だともいうし、また一方では、遠い昔から説いている、などというのはどう考えてもおかしい、というのが菩薩たちの疑惑である。さらに不思議なのは、仏がちょっとの間にどのようにしてこんな大勢の菩薩たちを教化して、無上の智慧を悟らせたのか、ということである。

そこで弥勒菩薩は仏に申し上げた。世尊は太子であったとき、釈迦族の王様の宮殿を出てブッダガヤの近くの道場に座って最高の智慧を完成することができた。それ以来四十余年の年月が経った。世尊よ、あなたはたった四十余年という短い時間の中で大勢の菩薩を教化されたが、それは一体、仏の努力によったのか、それとも功徳によってできたのか。こんな短時間の間にどうやって大勢の菩薩に教化し、最高の智慧を持たせたのか、ということが弥勒菩薩のいつわらざる疑いの気持ちであった。
 
今、これを喩えて言おう。色が美しく髪の黒い齢は25歳の若者が、100歳になる老人を指してこれは自分の子だという。また100歳になった老人も、25歳の齢の若い者を指してこれは自分の親で、この人が自分を生んで、自分を育ててくれた、と言ったならばどんな人でもこの話を信じることはできないであろう。仏の言うこともこのとおりである。

仏は得道(とくどう)以来、久しからず、わずかに四十年あまりしか経たないのに、この大勢の菩薩たちは無量千万億劫の長い年月のあいだ、仏の道を学んでいたように思われる。仏の道を悟るために一生懸命に精進して、無量百千万憶の三昧に入ったり出たり住したりしながら、大きな神通力を得て、長い間かかって梵行(ぼんぎょう)を修し、善き行いをし、人の問いに答えることが自由自在にできるようになり、「人の中の宝」 として世の中の稀有な存在となったのである。

このなかで「善く無量百千万億の三昧に入・出・住し、大神通を得」 とあるが、この入・出・住というのが重要である。「入」というのは教えを聴いたり自分で勉強して教えの中に入ることである。教えの中に入り、教えがだんだんわかってきたならば、今度は世の中に出て教えを説かなければならない。それが「出」である。この入と出とが自由にできるようになって初めて「住」ということがわかる。住とは教えの中に安んずることができる。入だけではまだ安じることができない。出をよく味わってこそ、住の境地にいることができる

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第15章 従地涌出品(じゅじゆじゅつぼん)その7



蓮 4.29 2016
「世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し」



◎蓮華(れんげ)の水にあるが如し

ところで今日、世尊(せそん)はこんなりっぱな大ぜいの菩薩たちを、自分がブッタガヤで悟りを開いたときに初めて発心(ほっしん)させ、それから教え導いて最高の智慧を得られるようにしてやったのだ、と言われたのが、これは不思議なことで、合点(がってん)することができないことだ。世尊はブッダガヤで悟りをお開きになってから、まだ四十年ぐらいしか経たないのに、こんなに大きな功徳を積んだというのは、どうにも理解できないことである。

とくに、問題なのは新発意(しんぼつち)の菩薩である。はじめて大衆の教えを学びたいという心をおこした新入りの菩薩が、今おっしゃったようなつじつまのあわないことを聴けば、これを疑って信用せず、ついに法を破るような罪業(ざいごう)の因縁をおこすであろうと。弥勒菩薩は重ねてこのことを偈文(げもん)で説かれたのであったが、その経文のなかに、

善(よ)く菩薩の道を学して、世間の法に染まざること、蓮華の水に在(あ)るが如し、地(じ)よりして涌出(ゆじゅつ)し、皆な恭敬(くぎょう)の心を起こして、世尊の前(みまえ)に住(じゅう)せり

とあるが、「世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し」という経文には貴重な意味がある。蓮華の根は泥の中にある。しかし泥の中から出て咲いた蓮華は、どこまでも清らかである。泥の中にいながら泥の穢(けが)れを帯びない、きれいな花を咲かせるのが蓮華である。蓮華は泥の中に根があり、泥に汚れているからこそ美しい花を咲かせることができた。

弥勒菩薩は、地から湧き出た大ぜいの菩薩は、世尊が四十余年の間に教化(きょうけ)したのでは絶対にないと断定、さらにこれらの菩薩が非常に智慧と徳相に秀でた菩薩であったため、四十年や五十年の修行でこのようなりっぱな人には決してならないと断定した。これは弥勒菩薩自身が、長い間かかって修行してきた自らの経験に照らして、このような断定を下せたのであった。地涌の菩薩の様子を見ていると「無量無辺の諸仏の所に於いて 諸(もろもろ)に善根(ぜんこん)を植え、菩薩の道(どう)を成就し、常に梵行(ぼんぎょう)を修(しゅう)せり」と判断せざるを得ないのであった。

この弥勒菩薩の断定と、弟子たちに世尊が四十年間だけ教えを説いた、という事実が、どうしても両立しないことになる。この両立しないこと、矛盾であることが、次の「寿量品(じゅりょうほん)」の教えの展開の鍵となる。

これで「法華経」の迹門(しゃくもん)全体が終わり、いよいよ本門に入ることになる。ここまでくれば当然、仏というものは一体どういうものなか、その性質が明らかにされなければならなくなる。地上に生まれて教えを説かれた釈迦仏はは三十五歳で成道(じょうどう)し、八十歳で入滅された肉身をもった仏であるが、この仏は実は無限の生命をもった仏が、仮りに人の姿を取って、この地上に現れたものだ、ということを明らかにしなければ、この「従地涌出品」の中で弥勒菩薩が提出した疑問は永久に解けないことになる

これを解決するために次の「寿量品」が説かれることになる。「寿量品」のほんとうの価値と、真実の意味をしっかりと把握するためには、この「従地涌出品」で説かれた地涌の菩薩の意味をよく味わなければならない。この意味がわかってこそ「寿量品」の教えが切実にわかるようになる。


次回は、いよいよ「寿量品(じゅりょうほん)」の教えに入ります。


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プロフィール

白蓮の香り

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白蓮堂のブログにご訪問ありがとうございます。神界、霊界、人間界(魂.心.肉体)は綿密に繋がっています。少しでも多くの人々に真実を知っていただきたく思い仏教の中での最高峰の経典、「法華経」をご紹介させていただきます。私(渡辺西洲)が勧める¨本物の法華経¨と出遭えたなら、あなたに、奇跡が起きます! 一人でも多くの人にご縁がありますように ....... (合掌)

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