第17章「分別功徳品」その1



功徳品1
信仰によって得られる無限の宝庫を解く。
 


仏(ほとけ)、希有(けう)の法(ほう)を説きたもう 昔より未(いま)だ曾(かつ)て聞かざる所なり 世尊は大力(だいりき)ましまて、寿命量(はか)るべからず、無数(むしゅ)の諸(もろもろ)の仏子(ぶっし)、世尊の分別(ふんべつ)して、法利(ほうり)を得(う)る者を説きたもうを聞いて、歓喜身(かんぎみ)に充遍(じゅうへん)す。或(あるい)は不退(ふたい)の地に住し、或は陀羅尼(だらに)を得(え)、或は無礙(むげ)の楽説(ぎょうけつ)、万億(まんのく)の旋総持(せんようじ)あり。..............


◎真の功徳とは

仏の永遠の生命を説いた「寿量品」のあとに来るのが「分別功徳品」である。
この、「分別功徳品」の前半は「従地涌出品」の後半と共に「寿量品」を中心として「一品二半」(いっぽんにはん)といわれ、日蓮聖人が特に重視し「法華経」の中で最も重要な内容が説かれたものとした。

それは、仏とは何かがはっきりわかり、その信仰に基づいて具体的な信仰生活の内容がこの「分別功徳品」の中で説かれているからである。「寿量品」において仏の生命が不滅であることを知ったわれわれはどのような信仰生活を送ったらよいか、どんな教えを実行したら仏と同じ永遠の生命を得ることができるか、それを解き明かすのが「分別功徳品」にほかならない。「分別功徳品」は仏の永遠の生命を理解し「法華経」の教えを信じた人は、どのような功徳が得られるか、を明らかにしたものである。

ところで、注意しなければならないのは、功徳というとすぐに現世利益(げんぜりやく)のことだと思ってはならない。
「法華経」の教えを信じることによって自然にその人の人格は立派となり、顔も信仰からにじみ出た温顔となり、態度も深い信仰に裏打ちされ悠揚迫らざるものになる。このような信仰を獲得した人はおのずと社会の人々からも信頼され、尊敬を受けられ、その結果として、社会的な名誉や物質的な富も得られるようになる。

現世利益はどこまでも信仰の結果自然に生じたものであって信仰の目的であってはならない

この「分別功徳品」に書かれている功徳も現世利益を説くのではなく、信仰によって得られる無限の宝蔵を説くのである。
人間は目先の利益だけを追求して幸福であるのではない。真の幸福は永遠の仏の生命に自分が生かされていることを自覚することにある。

「分別功徳品」は「法華経」の信仰に生きる人たちが、どのようにして真の功徳を受けることができるかを、詳細に具体的に説いたものである。

次回に、つづく。


法華経の入手の仕方や方法は

※くわしくは、白蓮堂のホームページをご覧ください(^_^)v
 
↓↓

↓↓

法華経と共に! 白蓮堂 
http://www3.hp-ez.com/hp/magokoro18
 


第17章「分別功徳品」その2



功徳品2
仏教は人間を超えた思想を説く
 


◎人が菩薩になるとは..........(清浄の法輪)

「寿量品」で説かれた仏の永遠の生命がわかった衆生には、多くの功徳があることを経文は明らかにする。仏は一同の代表である弥勒菩薩に対して、仏の寿命の永遠不滅を信じる者の功徳をお説きになる。彌勒菩薩は我々の代表者であるから、仏は弥勒菩薩にその功徳をお示しになる。

その功徳の第一は「無生法忍」(むしょうほうにん)ということが理解できるということである。仏の寿命が永遠であることを聞いた衆生は「無生法忍」を得ることができる。と仏は弥勒菩薩に言われた。「無生法忍」の無生とは、「無生死」であり、生死を離れること、その教えを守って続かせてゆくことが「無生法忍」である。まず、衆生は仏の生命が無限であることを聞いて、生死というのは変化のことである。人生の変化などは大いなる生命から見れば大したことはない。成功しても失敗しても、出世しても貧乏になっても、それは単なる変化に過ぎない。しかるに、仏の生命が不滅であることがわかると、生死の世界を越えようとする意志がうまれる。

永遠の仏に自分は生かされているのだ、と信じることによってこの世の生死変化の世界に執着していることから離れようという気持ちになれる。人生の利害得失を離れる気持ちを起こすには、永遠の生命を信じなければならない。この短い人生の喜怒哀楽など、永遠の生命から見れば、まったく取るに足らないことになる。こう考えれば、生死、人生の変化にとらわれない心が生じる。しかもその気持ちを絶えず持ち続けようという気になる。それが「無生法忍」ということである。

仏の永遠の生命がわかると、次に「聞持陀羅尼品(もんじだらにぼん)」を得ることができる。「陀羅尼」とは、善を行い、悪を止める力のことで「総持」(そうじ)と訳す。仏の永遠の生命を信じることは自分の永遠の生命を信じることにもなる。それによって現在の自分は過去の業の結果としてあることがよくわかり因縁によってこの生を受けて現在に自分が存在していることに、無限の感謝を持つことができるようになる。さらに未来を考えると現在のこの人生がどんなに大切であり重要であるかがわかってくる。

次に、たくさんの菩薩が「楽説無礙弁財(ぎょうせつむげべんざい)」を得ると説かれる。「楽説」の「楽」とは楽しむことではなく「ねがう」ことである。「無礙」というのは障りのないことである。「楽説無礙弁財」とは自由自在に妨げなく教えを説くことをねがうことである。無礙に説くことができる条件では、それは永遠の生命である仏を信じその仏に行かされている自分をしっかりと確信していなければならない。「楽説無礙弁財」は仏の永遠の生命を信じる者の大いなる功徳の一つであることがわかるではないか。

次には数えきれないほどの菩薩が無量の「旋陀羅尼(せんだらに)」という功徳を得ることができた。「陀羅尼」とは、先に述べたように善を行い悪を止める力であるが、これに「旋」という字がつく。「旋」とはめぐらすことで、この旋陀羅尼の力を自分だけで享受しないで、この教えを人から人へ説きめぐらしていくことが「旋陀羅尼」の教えである。

さらに数限りない菩薩が「能(よ)く不退(ふたい)の法輪ほうりん)を転てん)ず」ること「法輪」というのは教えを弘めることである。車の輪が無限に回っていくように教えを無限に広めることである。しかもそのためには「不退」の決意を持たなくてはならない。どんなことがあっても教えを弘めることを中止してはならない

不退の法輪を説くことができるようになった菩薩は次に「能(よ)く清浄の法輪を転ず」ることができる「清浄」とは報酬を求めないで教えを弘めることである。有形的にも、無形的にも、報酬を期待して教えを弘めるのはこれに反する。

何一つ報酬を求めないとは、人間が理想を考える極限の思想である。仏教は人間を超えた思想を説く。だから、これは人間ではなくて菩薩の教えとなる。清浄の法輪は菩薩でなけれは絶対に実行し得ない逆に清浄な法輪をとくことができるようになったとき、人は人でなくして菩薩になる

次回に、つづく。


法華経の入手の仕方や方法は

※くわしくは、白蓮堂のホームページをご覧ください(^_^)v
 
↓↓

↓↓

法華経と共に! 白蓮堂 
http://www3.hp-ez.com/hp/magokoro18
 


第17章「分別功徳品」その3



功徳品3
行住坐臥(ぎょうじゅうざが)..................いかなる環境にも支配されない




◎不退の地に生きよ

仏の永遠の命を確信することによって、多くの菩薩が功徳を得ることをお説きになると、虚空(こくう)から、大きな白い蓮の花が降ってきた。獅子座の上に座っているたくさんの仏の上や、七宝の塔の中におられる釈迦牟尼仏や、久しい間滅度(めつど)していたが教えの真実を証明するために出現された多宝仏の上にも、さらには一切の菩薩や比丘、比丘尼、優婆塞(うばそく=在家の男の信者)優婆夷(うばい=在家の女の信者)の上にも花の雨が降ったのであった。

さらに天から香りのよい栴檀(せんだん)や沈水香(じんすいこう)の雨が降り、虚空の中では天の太鼓が妙なる調べを鳴り響かせていた。花も香りも太鼓も仏の教えをほめたたえるためのものである。また、いろいろな天の衣を雨ふらし、瓔珞(ようらく)、真珠、摩尼珠(まにしゅ)、如意珠(にょいしゅ)のような宝石をたらし、立派な香炉(こうろ)に価もつけられないほどの立派な香を焚いて仏を供養した。

一人一人の仏の上には、菩薩が幡(はた)や天蓋(てんがい)をもってさしかけ、これが梵天にまでずっとつづいていた。菩薩たちは美しい声で仏の徳をたたえる歌を歌っていた。そのとき、彌勒菩薩は立ち上がって右の肩を肌ぬいで仏に向かって合掌して申し上げた。

「世尊は仏の生命が無限であり、一切衆生の生命もまた仏の生命と同じく無限であることをお説きくださいました。このような教えは昔から今まで聴いたこともありません。この教えによって、仏には一切衆生を救う大いなる力があり、またその寿命が無量であることを知りました。それによって我々衆生は、世尊がわかりよくお説きくだっさた法の利益この自分の身にひきあていつかは仏の境界(きょうがい)になれることがわかり、身にあふれるような喜びでいっぱいです。」と。

ここからの弥勒菩薩がお説きになる偈文は、前に説かれた長行の部分とほとんど同じ内容であるが、前の長行は世尊が説かれたのに対して、この偈文は彌勒が自分で理解した教えを語ったのである。彌勒は仏の永遠の生命を信じる者には多くの功徳があることを身をもって確信し、承認したのであった。

或(あるい)は不退(ふたい)の地(じ)に住(じゅう)し、或(あるい)は陀羅尼(だらに)を得(え)、或(あるい)は無礙(むげ)の楽説(ぎょうせつ)、万憶(まんおく)の旋総持(せんそうじ)あり。

と、前に述べた功徳をくりかえしているのであるが、若干表現が異なるところもある。たとえば、「不退の地に住し」とあるのは、長行では「無生法忍」とあったのと同じ意味である。不退の地とは、、修行人生のどんな逆境にあっても、心を動かすこともなく修行をやめないで続けることである。

「華厳経」には、「結跏趺坐(けっかふざ)しては願う(ねごう)べし。善根堅固(ぜんこんけんご)にして不動地(ふどうじ)を得(え)んことを」と説く。座禅を組み、善行を修することによって不動地、すなわち不退の地に住することができる。

また同じく、「足を下(おろ)して住むときは願うべし、解脱(げだつ)を得て不動に安住せんことを」と説く。足を一歩一歩下すときは、何としても解脱して不動の地に安住することを願え、というのである。

日常生活の行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、いかなることをするときも、不動の地に住することを願うということは、いかなる環境にも支配されないことである。

仏法を思い成仏を願い解脱を志しているものは周りの環境にひきずられて退失することはない

次回に、つづく。


法華経の入手の仕方や方法は

※くわしくは、白蓮堂のホームページをご覧ください(^_^)v
 
↓↓

↓↓

法華経と共に! 白蓮堂 
http://www3.hp-ez.com/hp/magokoro18
 


第17章「分別功徳品」その4



無上の心
真の仏を知ることは、いかに大事か。



◎無上の心とは

「寿量品」を中心とした「法華経」で、もっとも重要な「一品二半」(いっぽんにはん)を説く「分別功徳品」の経文の最後は、次の言葉で結ばれている。

仏寿(ぶつじゅ)の無量なることを聞いて、一切(いっさい)、皆(み)な歓喜(かんぎ)す。仏の御名(みな)、十方(じゅっぽう)に聞こえて、広く衆生を饒益(にょうやく)したもう、一切善根(いっさいぜんこん)を具(ぐ)して以(も)って無上の心を助(たす)く。

この経文は短いが、「分別功徳品」の精神を見事に簡潔に描いている。
仏の生命が無限であることを聞いて、すべての人々は大いなる喜びに満たされた。仏の御名は十方に聞こえて、大ぜいの人々を救い、功徳を与えてくださる。われわれは善根を積むことによって、「無上の心」の実現を助けてゆく。

ここでいちばん大切なのは「無上の心」である。無上の心とは、悟りを求める心仏の境涯に到達することを願う心である。この無上の心を体験するために、あらゆる善根を積んでゆかなければならないのである。ここまでで、一品二半といわれる「法華経」の核心部分が終わることになる。「法華経」の構成は序分(じょぶん)、正宗分(しょうしゅうぶん)、流通分(るずうぶん)、の三部分から成るわけであり、「方便品」から「分別功徳品」のここまでが正宗分にあたり、これ以下は流通分になる。

正宗分というのはお経の中で一番大切なところであり、さらにその核心となるのが、「寿量品」を中心とする一品二半である。流通分はこの教えを世の中に弘めればどのような功徳があるかを説いたところである。

正宗分だけであれば、お経の中心思想がわかるので、それで十分でないかと考えられるが、それだけでは不十分なのである。
そこで、流通分(るずうぶん)では正しい信仰をもてばどんな結果が現れるか正しい信仰を持つにはどうしたらよいか、という極めて具体的な実践法が説かれることになる。

そのとき、仏は弥勒菩薩にお告げになった。「あらゆる衆生が仏の寿命が無限であることを聞いて、それを信じ理解するならば、そこから得られる功徳は無量である」とおおせになり、さらにつづいてそのことを詳しくお説きになった。

まず、仏の境涯(きょうがい)に到達したいと思って長い間に五波羅蜜(ごはらみつ)を行じたらどうなるか。五波羅蜜とは般若波羅蜜(はんにゃはやみつ)を除いた檀波羅蜜(だんはらみつ)と尸羅波羅蜜(しらはらみつ)と羼提波羅蜜(せんだいはらみつ)と 毘梨耶波羅蜜(びりやはらみつ)と禅波羅蜜(ぜんはらみつ)である。波羅蜜とは梵語のパーラーミターの音訳で「到彼岸」(とうひがん)と訳す。「到彼岸」とは悟りの世界に到達するということである。

五波羅蜜の、
⑴檀(だん)波羅蜜とは布施のことであり、檀とは檀那(旦那)を略した言葉で人にものを与えることである。布施をすることによって悟りの境地に到達しようというのが檀波羅蜜である。

⑵尸羅(しら)波羅蜜の尸羅とは清涼(しょうりょう)のことで、持戒のことである。戒律を正しく保つことによって、清涼の境地を得ることができる。

⑶羼提(せんだい)波羅蜜とは忍辱(にんにく)のことである。どんなことがあっても腹を立てないのが忍辱である。簡単なようでなかなか実行できないのが忍辱である。

⑷ 毘梨耶(びりや)波羅蜜とは、精進のことである。精進努力が仏道修行の上でどんなに大切であるかはお経でも説いているし歴史の祖師たちが常に戒めていることである。

⑸禅(ぜん)波羅蜜とは禅定のことであり自分の心を静めて散乱させないこと。

以上の布施、持戒、忍辱、精進、禅定の五つの修行は結局のところ般若(はんにゃ)波羅蜜、すなわち正しい智慧を得るためにほかならない

この五つの波羅蜜はどれ一つをとってもなかなか実行できないものばかりであるが、この五つの波羅蜜を行ずる功徳は仏の生命が無限であるという本当の仏を知ることの功徳に比べれば百分の一、千分の一、百千万憶分の一にも及ばないと説く。五つの波羅蜜を行じることと、真の仏を知ることとは価値が全く異なるということを、はっきりとここに名言しているのである。

次回に、つづく。


法華経の入手の仕方や方法は

※くわしくは、白蓮堂のホームページをご覧ください(^_^)v
 
↓↓

↓↓

法華経と共に! 白蓮堂 
http://www3.hp-ez.com/hp/magokoro18
 


第17章「分別功徳品」その5



白蓮7.15
仏とともにあるということを観ずる



◎我れ仏とともにあり

その時、仏は重ねて偈文(げもん)によってこのことをお説きになった。布施、持戒、忍辱、精進、禅定の五つの波羅蜜が再び説かれる。この五つの波羅蜜を修行することはたいへんによいことであり、それによって立派な人となることができるが、仏の寿命が永遠であることをほんの一念でも信じるならば、前の五つの修業よりも、比較することができないくらい優れている。仏を知るという智慧の中に、この五つの修行はみな含まれてしまうことになる。

其(そ)れ諸(もろもろ)の菩薩の無量劫(むりょうごう)に道を行ずるあって、わが寿命を説くを聞いてこれ則(すなわち)能く(よく)信受せん。

と経文にあるが、大変長い年月にわたって菩薩の道を修業してきたものは、仏の寿命が永遠であることを聞いてすぐに信受することができるというのは重要である。本当に深い心をもって仏の教えの表面だけでなくその教えの中にまで入って学ぶことができる人の心は清浄となり質直(しちじき)となる。質直というのは心が真っ直ぐで、ただひとすじに仏の教えを歩む人の心をいう。ひたすらに仏の教えを知りたいとただひとすじに生きる人は、仏の教えを聴いてみなそれを実行できる人である。

さらにつづいて、仏は弥勒菩薩に呼びかけられる。仏の寿命の永遠なることを聞いて、その意味がよく分かるようになれば、その人の得るところの功徳は無限であり、仏の無上の智慧を起こすことができよう。ましてこの法華経の教えを自分が聴くばかりでなく、多くの人に聴かせ、自分が受持するばかりでなく、多くの人に受持させ、さらに自分が教えを書くばかりでなく、多くの人に書かせるならばその功徳は大きい

さらに花や香や、瓔珞や幡や天蓋や香油や灯明などを、この「法華経」に供養するならば、その人の功徳は限りなく大きく仏の智慧を生じることができようと説く。

「法華経」を供養するということは、無限の生命を説いている。「法華経に対して我々の感謝の気持ちをあらわすことになる。供養する物の大小や多少はどうでもよい。供養せずにはいられないその気持ちが尊いのである。

仏の寿命が永遠であることを深く信ずれば仏が常に耆闍崛(ギシャクツ)山=霊鷲山(りょうじゅうせん)にあって菩薩や声聞たちに囲まれて説法している姿を見ることができる。仏の寿命の永遠を信ずれば仏がこの現在においても、この場所で説法しているということが本当にわかるようになる。仏が常在説法していることが分かれば、この自分も常に仏とともにあるという自覚を持つことができる仏とともにあるという自覚こそ人間としてもっとも大きな喜びであり、それこそが宗教的生活を成り立たしめることができる

このように仏とともにあるということを観ずることができればそれを「深信解(じんしんげ)の相(そう)」と呼ぶ。深信解の相都は、深く仏の教えを信じ理解した姿にほかならない。如来の滅後にこの「法華経」の教えを聞いて、その教えをそしったり非難したりすることが絶対になく、喜んで教えにしたがうことができることは深信解の相である。

随喜(ずいき)の心」を起こすということが大切である。どんなことにも喜んで従うことは大切であるが、「法華経」の教えを聴いてそれに随喜することは何より大切なことである。

次回に、つづく。


法華経の入手の仕方や方法は

※くわしくは、白蓮堂のホームページをご覧ください(^_^)v
 
↓↓

↓↓

法華経と共に! 白蓮堂 
http://www3.hp-ez.com/hp/magokoro18
 


第17章「分別功徳品」その6



祈り
功徳のなかでもっとも重要なのは、¨教えを弘める¨ 。
 


◎大いなる功徳とは

この「分別功徳品」を読むに当たって、昔から四信五品(ししんごほん)ということを説く。詳しくは「在世(ざいせ)の四信」と「末後(まつご)の五品」ということである。「在世の四信」とは仏がこの世におられるとき、仏の教えをじかに聞いて信じる信じ方を、浅い信仰から深い信仰の順番に四つにわたって説いたものである。それは、(一)一念信解(いちねんしんげ)、(二)略解言趣(りゃくげごんしゅ)、(三)広為他説(こういたせつ)、(四)深信観成(じんしんかんじょう)、である。

(一)一念信解(いちねんしんげ)とは、「法華経」のなかの一句でも一語でも少しでも理解でき、信じられるようになること、一日の間、たった一分間でもよいから、それを信じることが大切である。まず初心者はここから入らなければならない
(二)略解言趣(りゃくげごんしゅ)とは、ほぼその言趣(ごんしゅ)(仏のお説きになる意味)が理解できてくることである。お経の全体の趣旨がだんだん理解できるようになることである。
(三)広為他説(こういたせつ)とは、広く他人のために説くことである。自分がある程度わかってきたならば、その喜びを他人に分かち与えることが何よりも大切である。
(四)深信観成(じんしんかんじょう)とは、深く信じて正しい見方考え方が完成することである。ちょっとぐらい経文を読んでもなかなか深くはわからない。何度も何度も読み返し、自分の信心と年齢が深まるにつれて、しだいにお経に対する見方が定まってくるものである。このお経に対する考え方がしっかりしてくるのが「観成」(かんじょう)である。

仏のおられない末世(まつせ)には、残された経典によって修行するしかない。その方法を説いたのが「末後(まつご)の五品ごほん)」である。それは、(一)初随喜(しょずいき)、(二)読誦(どくじゅ)、(三)説法(せっぽう)、(四)兼行六度(けんぎょうろくど)、(五)正行六度(しょうぎょうろくど)である。

(一)初随喜(しょずいき)とは、お経を読んでいると深い喜びを感じてくることである。
(二)読誦(どくじゅ)とは、ただ一心にお経を読むことである。自己の全存在をお経に帰入(きにゅう)させて読むのが真の読誦である。
(三)説法(せっぽう)とは、教えを人に対して説くことである。単に口先だけで説くのではない。信心の喜びにあふれた顔で説き、全身で説き、行いで説く。
(四)兼行六度(けんぎょうろくど)とは、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)の教えを、できるだけ努力して一つでも行えるように努めることことである。
(五)正行六度(しょうぎょうろくど)とは、兼行六度をしだいに実行し深めてゆけば、いかなる時、いかなる場所においても、この六つの修行を行うことができるようになることである。

初めに説いた「在世の四信」でも、後の{末後の五品」でも、だんだんと教えを信じ、それを行なってゆくことを順序よく説いたものである。「分別功徳品」の経文の最後の段は、「法華経」を弘めさえすれば別に仏のために塔を建立したりする必要はないことを説く

七宝の塔を建て、僧坊を造り、衆僧を供養しないでも、「法華経」の経巻を供養すればよいのである。普通には仏塔を建てたりするほうが、功徳が大きいと考えやすいが、経文を供養することは、それらと同じほどの大いなる功徳があるという。功徳のなかでもっとも重要なのは、¨教えを弘める¨ ということである。



次回から、、第一八章、随喜功徳品(ずいきくどくほん)に入ります。


法華経の入手の仕方や方法は

※くわしくは、白蓮堂のホームページをご覧ください(^_^)v
 
↓↓

↓↓

法華経と共に! 白蓮堂 
http://www3.hp-ez.com/hp/magokoro18
 


プロフィール

白蓮の香り

Author:白蓮の香り
白蓮堂のブログにご訪問ありがとうございます。神界、霊界、人間界(魂.心.肉体)は綿密に繋がっています。少しでも多くの人々に真実を知っていただきたく思い仏教の中での最高峰の経典、「法華経」をご紹介させていただきます。私(渡辺西洲)が勧める¨本物の法華経¨と出遭えたなら、あなたに、奇跡が起きます! 一人でも多くの人にご縁がありますように ....... (合掌)

カテゴリ
最新記事
訪問者
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
ランキング
ことわざ
Powered by www.seiku.net
白蓮堂からのことば!
仏像
今日の時事英語
トライしてみて!
誕生日占い
相性占い!
QRコード
QR