第24章 妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)その1

◎妙音菩薩 ............. 三十四身に身を現じて衆生を救う菩薩である。東方におられる。
◎観世音菩薩 ........ 三十三身に身を現じて一切の衆生を救う。西方におられる。
三十四身や三十三身に姿を変えて現れるのは、さまざまな衆生がいるからである。その衆生の能力もさまざまである。これで三十四身に姿を変えて、それにふさわしい能力の衆生を救うことになる。
※法華三昧(ほっけざんまい)とは.......... 法華経の教えを体得しようとして心を集中させることである。この法華三昧にはいろいろなやり方があるので、十六の三昧をあげて説明している。この十六の三昧のなかの一つでもほんとうに実行できれば、それによって次第に法華三昧に近づくことができる。
娑婆世界とは、苦しみがいっぱいのこの世界のことである。この世界で教えを弘めるのは容易なことではない。その大変な仕事を受けもっているのが、釈迦仏なのである。このよごれた世界にこそ仏国土を実現しなければならないのである。
娑婆世界の国土や仏や菩薩を低く見てはならないという考え方は重要であり、ちょうど美しい蓮の花が泥土から咲きでるように娑婆世界のようによごれた世界からこそ、真の仏国土が現成(げんじょう)してくるのでのである。それは「法華経」を一貫する考え方であり、「維摩経」(ゆいまきょう)などもそうであり、大乗仏教を通じる考え方である。
仏の身体は無量無限であるが、それが娑婆世界にあらわれると、身が小さいというのは、娑婆世界に住むわれわれ人間がちいさいからである。身体も智慧もみな矮小(わいしょう)なのである。この矮小(わいしょう)な衆生にあわせて身を小さくされたのである。
妙音菩薩が娑婆世界に行くために、如来の「神通遊戯」(じんつうゆげ)と如来の功徳と智慧をお借りしたいと言った。神通遊戯とは、自由自在な力のことである。どんなことがあっても自由自在に振る舞うことができなければ、娑婆世界において教えを説くことはできなくなる。さらに仏の功徳は、あらゆる人に恵む力をもっているので、それを受けて娑婆世界に行かなければ、目的を達することができないことになる。
※追伸、先ずは、仏界(霊界)を成就しないかぎり、今世も来世の幸せは無理です。たえず、生老病死の中でさ迷う四苦八苦の人生でしょう。神界(感覚、感性、芸術性)の世界は別次元です。 巧みに人を操る魔界に騙されないでください! その判断は、ご自分の姿を見たら一目瞭然です。健康で明るくスッキリした体形の自分でしたら、正しい道を歩んでいる人です。まだ間に合います。法華経を手にして(魔界を追い払い)一緒に頑張りましょう!(西洲)
次回につづく。
法華経の入手の仕方や方法は
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