第25章 観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)その1



2017 3 5

世の中の人の悩みを観てくださる観世音菩薩。


◎観世音菩薩普門品 .................. 観音経として独立したお経となった。

観音さまはその容姿がたいへん美しい。聖観音(しょうかんのん)にしても千手観音(せんじゅかんのん)にしても如意輪観音(にゅいりんかんのん)にしてもその端麗な容姿をじっと見ているだけで、心の中まで洗われる気がする。どんな人生の苦難にも耐えうる勇猛心をそなえながら、あらゆる人々を救ってくださる慈愛のあふれた姿が観音の特徴である。

観音経は日本人にもっとも広く読誦されたお経のひとつである。観音経は現世利益を説いた通俗的なお経であると思われるが、実は「浅きは深きなり」であって、これほど宇宙の生命の用(はたら)きを見ごとに解き明かしたお経はない。だからこそ東アジアの人々に時代と地域と人種をこえて読誦されて信仰されたのである。

観音さまは人間の相に即しながら人間の煩悩の炎を消し去った超人的な相をあらわしている。

観音経は正しくは「妙法蓮華経」第25品の「観世音菩薩普門品」なのである。「観音経」の功徳は、はかり知れないものがある。観音経を平素読誦していたために生命が救われたり、あらゆる災難からのがれることができたという霊験(れいげん)話は日本でも中国でも無数にある。それほど観音経はわれわれの願いをかなえてくれるし、多くの衆生の危難を救ってくれるのである。


「観世音菩薩普門品」の「観世音」というのは「世を観ずる」ということである。「世音」とは世間の人の声であり、われわれの悩みのことである。観とは観察することで世の中の人の悩みを観てくださるのが観世音ということである。

「普門品」の普門というのは、(あまね)くすべての者を入れるという意味でありどんな人でも入れることである。どんな人でも入れるということは、すべての人々を救ってくださるということである。


次回につづく。


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第25章 観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)その2



2017 3 8

自分自身の内面を変えていくことが信仰である。


◎一心称名(いっしんしょうみょう)

一心に御名(みな)を称えることは、観世音菩薩と一体となることである。御名を称えることによって観世音菩薩がその相(すがた)を現してくれる。口で声を出して称えることが大切なのである。「南無釈迦牟尼仏」とか「南無観世音菩薩」と称名することによって、観世音菩薩が自分の心の中にあらわれてくる。それによって自分の悩んでいた心が明るくなる。そのために一心に称名する必要がある。

観世音菩薩の御名を称えるならば、あらゆる災難から逃れることができる。経文では、火難、水難、風難、剣難、悪鬼難、枷鎖難、怨賊難の七難をといてゆく。災難にあったとき、平然となれる心の修養をすることはむずかしい。しかし、「南無観世音菩薩」と称えることは、われわれ凡人でも可能である。一心に観世音菩薩の御名を称えていれば、自然に心が落ち着いてくる。突然の災難に際しても身を処する方法を見つけ出すことができる。心の持ち方が明るい方に向かうことができる。

自分自身の内面を変えていくことが信仰である観世音菩薩の御名を称えることは自分自身の心を慈悲の心に変えてゆくことである。

自分の心持ちさえしっかりした不動の境地にあれば、どんなに縛られていても自由であることができることを言っている。正しい信心がありさえすれば精神は自由であり得るのである。

無畏(むい)を持って衆生に施(ほどこ)す

災難にあったとき、一人の人が真っ青になってふるえると全部の人がおびえる。一人の人が泰然自若としているとき、皆が安心する。 ¨無畏を持って衆生に施す¨ とはこのことである。

◎三毒を捨てよ。

性欲(淫欲) 瞋恚(しんに) 愚痴 ................... 三毒。

性欲の強い者は、観世音菩薩のことを思いなさい、というのである。観世音菩薩を敬う気持ちをおこすならば、その淫欲をしだいに除くことができる。欲望をなくすのではなく欲望を変えてゆくのである。性欲をたち切ることはできないが転換させることは可能なのである。瞋恚(しんに)とは、怒りのことである。世の中には気が短く、ちょっとした事にも腹をたてすぐに怒りを発して人を罵(ののし)ったり、打ったりする人がいる。このように瞋恚が多い人でも、常に観世音菩薩を念じていれば瞋恚を離れることができる愚痴とは、この人生も自分のまわりの環境も無常であることを知れば愚痴をいうことはなくなるものである。愚痴は変化する人生を変化しないものと考えるから起こる迷いにすぎない。人間はどんなに愚痴をいったところで自分自身も自分をとりまく環境も変わるものではない。愚痴をいう暇があるなら一瞬でもよいから観世音菩薩のことを念ぜよ、というのが経文の教えである。


次回につづく。


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第25章 観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)その3



2017 3 12 2

森羅万象すべて観世音菩薩の応現。(私たちは、日々観音さまの手のひらの上で試されています)



◎一人の菩薩を拝もう

一心に無数の菩薩の名前を心の中に刻み込み、飲食(おんじき)、衣服(えぶく)、臥具(がぐ)、医薬(いやく)など、供養すれば大きな功徳がある。多くの菩薩に供養しただけでも功徳があるのに、もし観世音菩薩の御名を思い、たった一瞬の間でも礼拝し供養するならばさらに大きな功徳があると説く。大ぜいの菩薩に供養する功徳とたった一人の観世音菩薩に供養する功徳とは、まったく変わることがないというのである。

一人の仏や菩薩に自分の全体を投げだし、信じることによってその仏や菩薩はその人を守護してくれるようになる。一つに打つこむその気迫が、その仏や菩薩に感応するのである。一心称名と同じであって、たった一人の菩薩を一心に信心する。一心に供養する。一心に帰依することによって、その仏や菩薩が功徳を与えてくれるのである。

われわれ衆生には、能力の劣ったものもいればすぐれた者もいる。ありとあらゆる能力、環境を異にした者がいる。人間の能力、生き方は千差万別である。その千差万別の人間に教えを説くには、観世音菩薩が自由自在に姿を変えて応現しなければならない。「念ずれば現れる」というが、念(おも)うことによって、見えない者の姿が見えるようになる。どんなに遠く離れていても、想いが強ければ強いほど、想いをかけられた人が姿を現すものなのである。

仏心となって救うべき人がいれば、観世音菩薩は仏身に姿を変えて説法する。そこで仏身、縁覚身、梵王身、帝釈天など、ありとあらゆる三十三身に応現して教えを説く。三十三身というのは、三十三に限定するのではなく無数のものにも応現することをいう。人間や菩薩に限らず、花、木、虫、鳥、魚、となって教えを説くこともある。森羅万象すべて観世音菩薩の応現とみなすこともできる谷川のせせらぎの音も観世音菩薩の説法なのである。

観世音菩薩を一心に信じ、自分自身がまた観世音菩薩の御心(みこころ)を心とするとき畏(おそ)れるものはなくなる。どんな苦しい状況に身を置かれてもくじける心はなくなる。畏れる心がないとき人はどんな困難にも立ち向かうことができる。無畏を施す力を観世音菩薩はもっているのである。

追伸、本当に、観音経は素晴らしいお経です。いつでもどこでも¨観音経¨を合言葉に、私の関係者の皆さまに勧めています! 実は、宇宙の¨¨の神様が観音さまなのですよ。(西洲)


次回は第26章、陀羅尼品(だらにほん)に入ります。


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白蓮堂のブログにご訪問ありがとうございます。神界、霊界、人間界(魂.心.肉体)は綿密に繋がっています。少しでも多くの人々に真実を知っていただきたく思い仏教の中での最高峰の経典、「法華経」をご紹介させていただきます。私(渡辺西洲)が勧める¨本物の法華経¨と出遭えたなら、あなたに、奇跡が起きます! 一人でも多くの人にご縁がありますように ....... (合掌)

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