法華経と五綱教判 (教)


中国に渡った「法華経」 は6世紀の天台智顗(てんだいちぎ)によった新たなスポットライトを浴びることになる。智顗は、釈尊の教えを時間的順序、内容、布教方法の観点から分析し、優劣を判定した。時間的順序というのは、釈尊によって経典が示された段階のことである。まず「華厳経」 が説かれ、続いて「阿含経」 「浄土経」 「般若経」 最後に「法華経」 が語られたとした。これを「五時(ごじ)の教判(きょうはん)」 という。ただし、仏教学では、実際に釈尊の口から説かれたのは「阿含経」 の一部のみとされる。

ともあれ日蓮聖人の出発点もここだったが、ぜひとも「五時の教判」 から始まる天台の教学を超越する必要があった。なぜなら、それは他の経典の教理を含んでおり、「法華経」 を唯一無上とはしていなかったからである。その意図のもとに熟慮(じゅくりょ)を重ねて完成させたのが日蓮聖人独自の「五綱の教判」 だったのだ。


2018 5 13 1

5048巻の経典から、法華経が最高経典と確信を持った日蓮聖人。



「法華経」 の絶対性を確信させた日蓮聖人の論理。


◎五綱教判(ごこうきょうはん)

................... 人間がとるべき最高の道を教えよ

弘長2年(1262)に著した「教機時国抄」(きょうきじこくしょう)で、日蓮聖人は初めてこの五綱(五義)の意味と価値を明らかにしている。仏教徒たる者は、5つのことをわきまえることが必要だというのである。

その第一にあげたのが「」(きょう)だった。原文の概略に補足的な説明を加えると、以下のようになる。

「釈迦如来の説かれた一切の経.律.論は合わせて5048巻。印度(インド)に流布(るふ)すること1000年。やがて中国に渡り始め、一切経(いっさいきょう、すべての経典)が664年に渡り終えた。すべての経典を、われわれは知ることができるのである。この一切の経のなかには小乗.大乗.権経(ごんきょう).実経(じっきょう).顕経(けんきょう).密教(みっきょう)の区別がある。これらをわきまえるべきである。この区分は、学者によってなされたのではなく、仏説より起こったものである。十方世界の一切衆生は、これを用いるべきである。これを用いないものは異教徒と知るべきである」

まず、経典の全体像の区分を紹介し、同じ仏教といってもさまざまな解釈があることを示す。

こののち、すべての人々は「法華経」 を最高のものとして選ぶべきであり、他に帰依してはならないという強い主張に展開していくのである。しかしながら、ここで主体となっているのは、理論的な説明ではなく、直感による啓示(けいじ)としかいいようがない。

ここが日蓮聖人と「法華経」 の魅力でもあり、問題点でもあるといえるだろう。
(日蓮の本、学研、その他参照)


追記、
「これを用いるべきである。これを用いないものは異教徒と知るべきである。」ここまでの強い表現は逆に怖さも感じさせます。しかもそれが「直感による啓示である」ということ。仏教についてさまざまな解釈がある中で、ハッキリとした根拠も示されず、他を受け入れない発想はなかなか理解しがたい難しさを感じます。今の世の中は頭で理解するということに重きが置かれているので「ただひたすら信じて行う」ことしかないということを実行するのには難しさも感じます。 しかし法華経を学べば学ぶほど、この謎は解き明かされてきています。 (白蓮堂)


次回につづく。


法華経の入手の仕方や方法は

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法華経と五綱教判 (機)


中国に渡った「法華経」 は6世紀の天台智顗(てんだいちぎ)によった新たなスポットライトを浴びることになる。智顗は、釈尊の教えを時間的順序、内容、布教方法の観点から分析し、優劣を判定した。時間的順序というのは、釈尊によって経典が示された段階のことである。まず「華厳経」 が説かれ、続いて「阿含経」 「浄土経」 「般若経」 最後に「法華経」 が語られたとした。これを「五時(ごじ)の教判(きょうはん)」 という。ただし、仏教学では、実際に釈尊の口から説かれたのは「阿含経」 の一部のみとされる。

ともあれ日蓮聖人の出発点もここだったが、ぜひとも「五時の教判」 から始まる天台の教学を超越する必要があった。なぜなら、それは他の経典の教理を含んでおり、「法華経」 を唯一無上とはしていなかったからである。その意図のもとに熟慮(じゅくりょ)を重ねて完成させたのが日蓮聖人独自の「五綱の教判」 だったのだ。


2018 5 20

人間は十人十色、その人に合った教え方が必要です。



「法華経」 の絶対性を確信させた日蓮聖人の論理。


◎五綱教判(ごこうきょうはん)

................... 人間の能力、資質に合わせて導く

機根」(きこん)とは、人間の能力と努力を表すときに使う言葉。日蓮聖人が「教」 の次に持ってきたのが、この「機根」 だった。

「釈尊の高弟(こうてい)のシャーリプトラ(舎利弗)が鍛冶屋に不浄観(ふじょうかん)汚れを説き、洗濯屋に数息観(すうそくかん)呼吸の修行を教えたところ、90日を経ても少しも悟らずに、かえって邪悪な考えを起こしてしまった。釈尊は逆に、鍛冶屋にふいごを例に引いて数息観を説き、洗濯屋には汚れを落とすことを題材にして教えたところ、たちまちのうちに悟ることができた。智慧第一といわれたシャーリプトラ(舎利弗)でさえ、機をよく知らないのである。ましてや現在の凡師(ぼんし)は機を知りがたい。そのようなときにすばらしい働きをするのが「法華経」 なのである。ただひたすらに「法華経」 を教えればいいのである

と書いている。さらに智慧のある人間となるべき機根を持ったものには、小乗の認識から順に教え最後に法華経」 にいたらしめようという。

興味深いのは、そのような智慧のない人間には、まず「法華経」 を直接教えてしまえといっているところである。愚かな者には理を尽くしても仕方がないのだから「盲信」(もうしん)させてしまえとも聞こえる。

いずれにせよ、布教の際に必要なのは、衆生を「法」(ほう)に導くにあたり、単に教理を振りかざすのではなく機根に応じ適切な手段を講じることなのである。

(日蓮の本、学研、その他参照)


追記、私たちの生活でも、幼い子供には幼い子供にでも理解できるように教え、大人には大人の理解できるように言ったり、相手によっては内容を深めたりすることと同じだと思います。
知恵のないものに直接教えるといのは、ヨチヨチ歩きの赤ちゃんが危険なことをした時に「ダメ!危ない!」理屈で教えるのではなく、先に危険を回避してあげることと、似ている気がします。
昔の、文字や言葉に理解が浅い人や、信仰心が薄かった人たちの「まずは幸せを」と思った時に、南無妙法蓮華經の7文字を唱えさせることには深い慈しみを感じますね。 (白蓮堂)


次回につづく。


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法華経と五綱教判 (時)


中国に渡った「法華経」 は6世紀の天台智顗(てんだいちぎ)によった新たなスポットライトを浴びることになる。智顗は、釈尊の教えを時間的順序、内容、布教方法の観点から分析し、優劣を判定した。時間的順序というのは、釈尊によって経典が示された段階のことである。まず「華厳経」 が説かれ、続いて「阿含経」 「浄土経」 「般若経」 最後に「法華経」 が語られたとした。これを「五時(ごじ)の教判(きょうはん)」 という。ただし、仏教学では、実際に釈尊の口から説かれたのは「阿含経」 の一部のみとされる。

ともあれ日蓮聖人の出発点もここだったが、ぜひとも「五時の教判」 から始まる天台の教学を超越する必要があった。なぜなら、それは他の経典の教理を含んでおり、「法華経」 を唯一無上とはしていなかったからである。その意図のもとに熟慮(じゅくりょ)を重ねて完成させたのが日蓮聖人独自の「五綱の教判」 だったのだ。


2018 5 27

末法においては最高の究極の教え「法華経」が世の中を救うと主張した。



「法華経」 の絶対性を確信させた日蓮聖人の論理。


◎五綱教判(ごこうきょうはん)

................... 末法の悪世こそ弘められるべき時である

続いて、仏教を弘めるには必ず「時」(じ)を知るべきであるという主張がなされる。「時」 を知らずして正しい仏教を弘めれば、益(えき)がないどころか、かえって悪道に堕ちるのみだという

仏教には、釈尊の入滅後の世の中を、正法(しょうぼう).像法(ぞうぼう).末法(まっぽう)の3つの「時」 に分ける考え方がある。

正法の「時」 とは、正しい悟りと教えと修行が満足に具現(ぐげん)されている世の中。
像法の「時」 とは、正しい悟りはなくなるが、教えと修行は継承(けいしょう)されている世の中。
末法の「時」 とは、悟りも修行もなくなり、残っているのは、教えだけという世の中を指している

日蓮聖人は、さらに具体的な解釈を示し、

正法の世とは、持戒(戒律を保つ)が多い時。
像法の世とは、破戒(戒律を受けるが破る)が多いとき。
末法の世とは、無戒(むかい)(最初から戒律を受けない)者が多い時と規定した

この時期については諸説はあるのだが、日蓮聖人は、正法一千年像法一千年末法一万年という説を取った。

「教機時国抄」 を記した弘長2年(1262)は、この説に従えば、末法の世に入って200年余りが経っていることになる。もはや、仏教は危機的状況にある。

だからこそ、末法におして最高の教え、究極の法(法華経)が現れ、劣悪な人間と社会を改めるのだ、と日蓮聖人は主張したのだ。

(日蓮の本、学研、その他参照)


追記、今の世は末法の世と言われていますね。末法だからこそ究極の法で世の中を改めていくのですね。 このありがたい教えにご縁をいただいている私たちは幸せだあるということですね。(白蓮堂)


次回につづく。


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法華経と五綱教判 (国)


中国に渡った「法華経」 は6世紀の天台智顗(てんだいちぎ)によった新たなスポットライトを浴びることになる。智顗は、釈尊の教えを時間的順序、内容、布教方法の観点から分析し、優劣を判定した。時間的順序というのは、釈尊によって経典が示された段階のことである。まず「華厳経」 が説かれ、続いて「阿含経」 「浄土経」 「般若経」 最後に「法華経」 が語られたとした。これを「五時(ごじ)の教判(きょうはん)」 という。ただし、仏教学では、実際に釈尊の口から説かれたのは「阿含経」 の一部のみとされる。

ともあれ日蓮聖人の出発点もここだったが、ぜひとも「五時の教判」 から始まる天台の教学を超越する必要があった。なぜなら、それは他の経典の教理を含んでおり、「法華経」 を唯一無上とはしていなかったからである。その意図のもとに熟慮(じゅくりょ)を重ねて完成させたのが日蓮聖人独自の「五綱の教判」 だったのだ。

2018 5 27 2
法華経が国を選ぶということなのです。



「法華経」 の絶対性を確信させた日蓮聖人の論理。


◎五綱教判(ごこうきょうはん)

................... 法華経に機縁ある日本でこそ弘められる教え

「我日本の柱とならむ。我日本の眼目(がんもく)とならむ。我日本の大船(たいせん)とならむ」 という有名な言葉からもわかるように、日蓮聖人にとって、国家という概念も非常に大切なものだった。

「仏教というのは、国の性質を考えて布教すべきものである。国には、寒い国、暑い国、貧しい国、富んでいる国、世界の中心に位置する国、辺境に位置する国、広い国、狭い国、盗(ぬす)っ人(と)ばかりの国、人殺しばかりの国、不幸者ばかりの国などある。

また、小乗に向いている国、大乗向いている国、小乗と大乗の両方に向いている国の別もある。この日本が、そのどれにあたるのかを見きわめるべきである。」

いささか乱暴な区別であるが、熱意のほどはうかがえる。日蓮聖人は、まず日本が大乗の国であることを指摘し「法華経」 と縁が深いことを示した

確かに、日本への仏教伝播(でんぱ)以来の軌跡を考えると「法華経」 との機縁は薄くはない。

最初に仏教を承認したともいえる聖徳太子が最初に取り上げて講義した経典のひとつが「法華経」 だった。その太子と天台の智顗(ちぎ)が同時代の人間だったことも、‘力強い縁’ と感じたことだろう。

日蓮聖人は、さらに声を高くしていう。

この日本の優秀な国柄と「法華経」 が一致一合して、初めて世界に「法華経」 が弘まる機運が開けるのである

(日蓮の本、学研、その他参照)


追記、法華経が人をも選ぶとも解釈ができそうです。日本は「大乗の国」という表現は日本人のことをよく捉えているなと思います。時代と流れとともに「小乗」になりつつあることは否めない気がしますが…。色々な宗教があり、布教というのもなかなか難しいものですが、いかにしてこの末法に、「法華経」 を弘めていくかが私たちの使命と言えると思います。(白蓮堂一同)


次回につづく。


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法華経と五綱教判 (序)


中国に渡った「法華経」 は6世紀の天台智顗(てんだいちぎ)によった新たなスポットライトを浴びることになる。智顗は、釈尊の教えを時間的順序、内容、布教方法の観点から分析し、優劣を判定した。時間的順序というのは、釈尊によって経典が示された段階のことである。まず「華厳経」 が説かれ、続いて「阿含経」 「浄土経」 「般若経」 最後に「法華経」 が語られたとした。これを「五時(ごじ)の教判(きょうはん)」 という。ただし、仏教学では、実際に釈尊の口から説かれたのは「阿含経」 の一部のみとされる。

ともあれ日蓮聖人の出発点もここだったが、ぜひとも「五時の教判」 から始まる天台の教学を超越する必要があった。なぜなら、それは他の経典の教理を含んでおり、「法華経」 を唯一無上とはしていなかったからである。その意図のもとに熟慮(じゅくりょ)を重ねて完成させたのが日蓮聖人独自の「五綱の教判」 だったのだ。


2018 6 3 1

燃えるようなエネルギーに満ちて法華経の布教に生きた日蓮聖人!
今もその意志は受けつがれています。



「法華経」 の絶対性を確信させた日蓮聖人の論理。


◎五綱教判(ごこうきょうはん)

................... 今こそ本仏の弟子から経法が弘まる時期

「序」 とは順序のことで、仏教が弘まる時期的な段階を説明している。これまで「教機時国抄」 で述べてきたことの正当性を、再度確認している感がある。「五綱の教判」 だけではなく、日蓮聖人の主張.著作には、再度の確認や、重ねての主張、繰り返しの解釈が数々あり、強調しようとする心構えが各所に見られる。

この「序」 においても「すでに仏教の渡来した国では、先に弘まった教えを知ったうえで、新しく正しい教えを弘めるべきである。先に小乗、権大乗(ごんだいじょう)が弘まっていれば「法華経」 による実大乗を弘めるべきである。もう実大乗が弘まっていれば、ほかを弘めるべきでない」 と先の要目を言葉を変えてまず紹介する。

そののち、当時のライバルを具体的に名をあげて強い批判を始める。

最後に、日本における仏教の推移と、解釈の変遷(へんせん)を個々に取り上げ、今はまさに「法華経」 による実大乗のときにいたったと、もう一度いうのである。全方向、全角度からの必死の訴えかけである。

ここに流れる一連の文章は、きわめて華麗で躍動的であり、しかも燃えるようなエネルギーに満ちている。読み手の心を一直線につかんで突き動かし、内容すべてを一挙に訴えかけ、理解にいたらしめようとする意欲がほとばしり出ている。布教の手法という意味でも、日蓮聖人は卓越した指導者だったといわざるえない。 (日蓮の本、学研、その他参照)

五綱の教判、これで終わります (^^)/


追記、正しい教えとは何か?日蓮聖人が伝えたかったことは?
お経の中には、何度も繰り返し説かれている教えがありますね。様々な形で教えを説かれたことがよくわかります。そして、お経書を何度も読み深めていくと、自分なりの解釈が出来てきたり、自分なりの気づきがでてきます。今の世の中は、宗教には縁の薄い人も多く「無宗教」があたかもいいことであるようにいう人もいます。仏教は葬式や法事の時だけと思っている人も多いですね。そんな「末法の世」であるからこそ、仏様にご縁のある私たちが広める努力が必要だと思います。 (白蓮堂)

次回につづく。


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プロフィール

白蓮の香り

Author:白蓮の香り
白蓮堂のブログにご訪問ありがとうございます。“縁起を見るものは法を見る法を見るものは私を見る”(ゴータマ.ブッダ)この世で起こっていることは、全て因果の法則からなのです。あなたの存在、家族の存在、今の苦しみや障害も、前世からの因果の法則です。そのためにも、少しでも多くの人々に真実(宇宙の真理.法則)を知っていただきたく思い仏教の中での最高峰の経典、「法華経」をご紹介させていただきます。私(渡辺西洲)が勧める¨法華経¨と出遭えたなら、あなたに、奇跡が起きます! 一人でも多くの人にご縁がありますように ....... (合掌)

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