第10章 法師品(ほっしほん)その8



疑いの心
疑うこころがあると.....(画像参照)



◎真理を疑う者たち(1)

「法華経」の教えを聞き、それを実行すれば必ず仏になれるというが、いったいどうしてそうなるのかと言うと、一切の菩薩が求める仏の智慧はすべてこの「法華経」のなかに説きあかされているから、このお経を本当に理解し、その教えを実践していけば必ず仏になれるのである。

「この経は方便の門を開いて真実の相を示す」とあるが、これはまず方便の入り口から入って後に絶対の真理を説き明かそうとしていることを示している。

仏は菩薩を教化し、成就するのである。菩薩とは大乗の教えを学ぼうとする人のことであるが、このような心がけを持った者を仏が教え導き、仏にするのである。

大乗を求めようとする者が「法華経」の教えを聴いて驚いたり、疑ったり、恐れたりしたならば、これは新発意(新ボッチ)の菩薩である。

新発意の菩薩とはまだ十分に完成していない菩薩の見習いである。見習いであるためどうしても動揺がある。仏になれると教えられるが、本当になれるのであるかと疑う。あるいは仏になれるというような恐ろしい教えを実行すれば大変なことになるとびくびくしたりする

続きは次回…

法華経の入手の仕方や方法は

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第10章 法師品(ほっしほん)その7



井戸掘り
一つの井戸をどこまでも掘り続けることが大切...



◎高原穿鑒の譬え(その2)

もし、在家者でも出家者でも自分は菩薩の教えを実行していると信じてもこの法華経を読誦し受持し供養することができない者は菩薩の教えを実行しているとはいえないのである

この段の最後には、高原で井戸を掘って水が得られる比喩が説かれる。

この比喩は懈怠(けたい)の心が生じることを厳しく戒めるために説かれたものである

高原で井戸を掘って水を得ようとするのは容易なことではない。
初めは乾いた土が出てくるだけで、いくら掘っても水は出ない。乾いた土であるから水が出ないと思っても、決して失望することなく、さらに掘り進んでいけば次第に湿り気のある土が増えてくる。さらに努力して掘っていけば泥が出てくる。泥が出れば水が近い。必ず清冽な水が得られるはずである。

泥土は菩薩道清冽な水は仏に喩えられる

菩薩の道である泥土までゆけば、必ず最後は仏になれる。信仰の問題も全くこれと同じで少しばかり信心して効果がないからと言ってやめてしまえば、仏の道は得られない

それでは駄目であって、一つの井戸をどこまでも掘り続けることが大切である


続きは次回…

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法華経への感謝



✩長文ですが、原文に近い形で掲載したいと思います。

渡辺西洲先生

しばらくのご無沙汰お許し下さい。
昨年11月に先生から「法華経」にご縁をいただき、自分なりに一生懸命取り組んでまいりました。
主人と長男の確執、どれだけチャレンジしてもなかなか合格できない国家試験…
経済的には何の心配もない生活でしたが、家族みんなが暗く苦しい生活でした。

長男は、子供の頃から少年野球のクラブチームに入り、父親は学生時代から野球一筋でしたので監督を引き受け親子で二人三脚で歩んできました。長男は野球の力が認められ、県内でも強豪と言われる学校に特待生で入学し、甲子園に行くという夢がこれから叶うぞ!という時に思いがけない怪我で入院することになりました。その頃からだと思います。長男のやることなすこと、全てがうまくいかなくなってきたのは…

怪我がもとで入院生活を送り、学校も長期にわたって休みました。野球なんて一生無理だとお医者様に言われました。野球をするために進学したようなもの…この学校ではそれ以外の目標はありませんでした。学校に行けるようになっても、野球ができないことで、肩身の狭い思いをしたと思います。一年留年し、次の年に他の高校を受験ました。

就職してからも入社して一週間目に車で正面衝突の事故を起こし、帰郷することになりました。
生死の境をさまよい、本当に心配しました。ここでも新しいスタートを切ったばかりなのに、退職せざるを得ない状況になりました。

こちらに帰ってきてからも、原因不明の腸の病気になったり、腰を痛めたりしてなかなか思うような人生を歩めない長男にはなにか「障り」があるのだと思いはじめました。

しばらく自宅療養したのち、整体師を目指し、国家試験を受けるのですが、これも1点足りずに合格できない年が続きました。
最初は主人も協力的でしたが、次第に「お前の育て方が悪かったんだ!」とか「いつまで親のスネでメシを食うのか!」とか言うようになり、長男や私と顔を合わせるたびに嫌味を言ったり、怒鳴ったりするようになり、長男は部屋に引きこもったようになり、家の中はすっかり冷え切ってしまいました。

父親と長男はひとつ屋根の下に暮らしながら、顔を合わせようとしません。長男は主人がいない時間帯は部屋から出てきますがそのほかは部屋に篭る生活でした。そんな生活が7年…

私も、これではいけない。長男が受けているであろう「障り」をなんとかしなくては…
占い、家相判断、お祓い、拝み屋さん、新興宗教…人様が「良い」というものには何にでもすがっていました。
でも、「これ!」といったものに出会えず時間ばかりがすぎるもどかしさを感じていました。

そんなかで、姉から聞いたのが「渡辺先生」でした。私はすぐに連絡をしたのです。
先生には家系図などから、長男に影響しているご先祖さまの状態や、仏壇の整え方など色々教えていただきました。
そして、「法華経」とのご縁をいただきました。
いままで、お祓いも、拝み屋さんも、占いも「やってもらえば大丈夫!」というおんぶに抱っこの感覚でした。
先生とお話させていただいて、「この感覚が間違っているのだ!」と気づかせていただきました。そして先生の言葉一つ一つに納得できました。
それは、「先祖は子孫が救うこと」お祓いや拝み屋さんに頼っても根本を救うことは難しいということです。それよりも子孫が努力していくことが何より大切だということです。私も法華経を手にしたその日から先祖とともに家庭も向上できますようにと心をこめて法華経を読経したり、学ぶようになりました。でも。なかなか状況は良くならず、焦りや不安を覚えた日も正直ありました。

先生の「家の中を、先祖を良くしていくのはあなた自身です。私は自分の神通力であなたの法華経の修行をお手伝いさせていただくだけです。霊媒師や祈祷師が何とかしてくれるという考えは捨ててください」という言葉は今も印象深く残っています。

半年以上変化の見られない我が家でしたが、見えない世界の動きは進んでいたのでしょう。国家試験も合格し、資金調達を含む、開業の段取りもトントン拍子に進み、先日開業の運びとなりました。
小さい整体院ながら「院長」としてスタートできました。苦労をしたり、傷ついたりした分患者さんの苦しみもわかる施術者であってほしいと願っています。

長男が国家試験に合格してから、主人も別人のようになりました。いままで長男が目指しているものが理解できずにどうして良いのかわからなったのかもしれません。長男の開業にあたって、一緒に物件を探したり主人なりのアドバイスをしたりするようになり、二人で出かける後ろ姿にはなんとも言えないものを感じています。少年野球に親子で行ってた頃と姿が重なる思いです。こんな日はもう来ないだろうと思っていましたが、法華経に一生懸命取り組んで良かったです。

今まで、長男の引きこもりのことで他人様にもいろいろなことを言われたり、私も残念な思いをすることがありました。でも、今はそういう経験も自分をそだてていただいたのだと感じています。
今は、自分や自分の家族に関わってくださった全ての人に「おかげさまでありがとうございます」とお礼を言って歩きたいくらいです。

私がこんな気持ちに成長できたのも法華経の教えのおかげだと感謝しております。

渡辺先生ありがとうございます。
今後共よろしくご指導お願いいたします。

第10章 法師品(ほっしほん)その6



高原のたとえ
教えを広める大切さ!



◎高原穿鑒(こうげんせんしゃく)の譬え(その1)

次に「法華経」が行われている場所には、どこにでも七宝で飾られた「塔」を建てよと説く。

「法華経」が行われる場所とは、「法華経」が読まれ。書かれ、帰依する人々が集まる場所である。仏塔を建てると当然その中には舎利(骨)をお祀(まつ)りしようとするのがわれわれ末世の仏教徒である。

復(ま)た舎利を案ずることを用いず。所以(ゆえん)は何(いか)ん。此の中には已(すで)に如来の全身います。と説く。

仏の教えを信じ、実行しさえすれば、その中に仏の全身があるので、それ以上に改めて仏の舎利を祀る必要がないというのである。

ここで注意しなければならないのは、舎利を祀るなといわれたからと言って、仏塔を作る必要はないと考えてはならないのである。仏の大いなる徳を慕うあまり、後代の人々は盛んに舎利塔を建てた。これは仏を慕う信者としては当然のことである。

ここで仏が舎利を奉安する必要がないといっているのは、寺や塔を建てることよりも教えをひろめることのほうがもっと大切であるという事である

続きは次回…

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第10章 法師品(ほっしほん)その5



仏と共に
「如来とともに宿するなり」



◎仏の加護

如来の滅後にこの「法華経」を受持して読誦し、供養し人々のために説けば、それは大変な功徳となり、仏はその衣をもってその人をおおってくださるという。
衣をもっておおってくださるということは仏が力を貸してくださると言うことである。

どんなに困難があっても「法華経」を受持して教えをひろめていけば、必ず仏が守ってくれると言うのである。

末世において、法華経をひろめるには、大信力(だいしんりき)、志願力(しがんりき)、諸善根力(しょぜんこんりき)が備わっていなければならない。

大信力とは「法華経」の教えが絶対の真理であることを確信し、この教えは永遠不滅であることを信じることである。
どんなに迫害の難儀に遭遇しても「法華経」の真理を疑う気持ちがなく、大信力を持っていれば、おのずと仏の世界に入って、仏になることができるというのである。

「法華経」の行者として、一線に立つものは安楽平穏であるはずがない。
迫害にあってもくじけることがない勇猛心をおこさせるのが実に大信心なのである。
「法華経」の教えが絶対の教えであると信じる力が備われば、この教えを他人に教えようという力が生まれるこの力が志願力である。一切衆生を救おうと全身心を拳(こ)して願うことが志願力である。
さらに、諸善根力が必要になってくる。あらゆる善をなす根本がそれである。善をなす根本は諸法の実相を知ることである。あらゆるものの本当の姿を知ることによって、その存在の意義を悟る。

この、大信力、志願力、諸善根力を備えることによって、どんなに迫害を受けても不惜身命(ふじゃくしんみょう)の活動ができる。

このような人は
如来とともに宿するなり
といわれる。

仏様と一緒にいるということである。仏と一緒にあるということが自覚されているとなると強い。いかなる迫害を受けても動ずることがない。このような人に対して、仏様はその御手(みて)でその頭をなでてくださるのである。頭をなでるというのは、絶対に信任されたことを意味する。

仏とともにあり仏に信じて任せられるという自信によって本当の広宣流布が可能になるのである

続きは次回…

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白蓮堂のブログにご訪問ありがとうございます。神界、霊界、人間界(魂.心.肉体)は綿密に繋がっています。少しでも多くの人々に真実を知っていただきたく思い仏教の中での最高峰の経典、「法華経」をご紹介させていただきます。私(渡辺西洲)が勧める¨本物の法華経¨と出遭えたなら、あなたに、奇跡が起きます! 一人でも多くの人にご縁がありますように ....... (合掌)

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