第15章 従地涌出品(じゅうじゆじゅつぼん)その2



雲水1
法華経の教えを一人でも、世に弘める功徳は.........。




◎虚空から大地へ…理想の実現

他の国土からやってきたたくさんの菩薩が、大勢の人の中から立ち上がり、合掌して仏に敬礼して、「もし私どもが仏の滅度の後において、この娑婆世界にあってこの経を弘めることをお許しくだされば、私たちもこの経を弘めるために大いに努力しましょう。」と申し上げた。そのとき、仏がたくさんの菩薩たちに言われた。「それはせっかくだがやめてもらいたい。この娑婆世界にもたくさんの菩薩が降り、これらの人々が熱心に教えを弘めてくれるから、あなたたちは結構です」と。

他の世界から来た菩薩の手助けを断ったということは、この地上の菩薩にしっかりやれという意味を含んでいる
仏がこのお説きになると、その時娑婆世界の三千台国土、すなわち世界全体の大地が震動して、その中から無量千万憶の菩薩たちが湧き出てきた。この地面から湧き出た大勢の菩薩は、身は金色をし、三十二相という見事な特相を」たたえ、身から光を放っている。この菩薩たちはずっと以前からこの娑婆世界の下にある虚空の世界にすんでいた。下の虚空の世界にいながら、上の地上の世界に出る準備をしていたところ、釈迦の声が聞こえたので、いっせいに下から湧き出したのであった。

その地面の底から出てきた菩薩は、皆偉い菩薩で「大衆唱導の首」であった。大衆唱導の首とは、大勢の人々を導いてゆくものの中でも、先達者、指導者としてその中心になる人のことである

ひとりで世の中に出て、教えを弘めるものも、多くの仲間を連れて教えを弘める者も、その価値は同じであることを経文は教えてくれる。たった一人でも不惜身命の誓いを立てて教えを弘める人も偉大であり、志を同じくする仲間と一緒になって教えを弘める人たちも偉大である。とにかく一人でも何万人でもその価値に変わりはない


続きは次回…

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第15章 従地涌出品(じゅうじゆじゅつぼん)その1



合掌1
従地涌出品(じゅうじゆじゅつぼん)、大事な教えです。


※是(こ)の諸(もろもろ)の菩薩等(ぼさつら)は 志(こころざし)固(かた)くして怯弱無(きおくれな)く、無量劫(むりょうこう)より来(このかた) 而(しか)も菩薩の道を行ぜり 難(むつか)しき問答(もんどう)に巧(たくみ)にして 其の心に畏(おそ)るる所無く 忍辱(にんいく)の心は決定(けつじょう)し 端正(たんじょう)にして威徳(いとく)あり 十方の仏に讃(たたえ)られて、 善能(よ)く分別(ふんべつ)し説(と)けり 人衆(ひとびとのあいだ)に在(あ)ることを楽(ねが)わずして、常(つね)に好んで禅定に在(あ)り 仏道を求んがための故(ゆえ)に 下(した)の空中に於いて住(じゅう)せり。



◎大地から湧き出た菩薩

この従地涌出品(じゅうじゆじゅつぼん)は「法華経」の迹門の最後の品にあたり、この後は本門にいり、「如来寿量品」が説かれる。
この従地涌出品の前半は、本門の序文にあたり、「従地涌出品」の後半と次の「如来寿量品」第十六と「分別功徳品」第十七章の前半までが「一品二半」と呼ばれ、「法華経」で一番大切な教えが説かれる。「正宗分(しょうしゅうぶん)」といわれるものである。

だからこの「従地涌出品」は極めて重要な教えが説かれた品なのである。日蓮聖人も「観心本(かんじんほんそんしょう)」のなかで、寿量品と前後の二半、これを正宗とす。
といっており、日蓮聖人が最も大切な品であることを明言している。

この「従地涌出品」の教えが重要であるのは「法華経」をこの世に弘めるためには、他の世界から来た者の力を借りないで、この世界にいるものが自分たちの手で教えを弘めなければならないことが強調されていることである。
「法華経」を弘めることができる人は「大地から湧き出した菩薩」でなければならないということが、この「従地涌出品」で説かれる。

大地から湧き出した菩薩とは、他の世界からやってきた人ではなく、この大地から湧き出した人、すなわち、この現実の生活にあって様々な苦しみをした人大地の生活を実際にしてきた人こそ、仏の教えを弘める立派な資格をもつのである

日蓮聖人はこの「従地涌出品」の意味を自ら深く感得し、自分たちこそ地涌の菩薩としての使命を果たすべきである。と弟子や信徒を励ましたのであった。日蓮聖人は「開目抄」のなかで、

日蓮が法華経の智解(ちげ)は天台、伝教にも千万が一分にも及ぶ事なけれども、難をしのび、慈悲の勝りたることは、怖れをも懐きぬべし。

といっている。日蓮聖人は「法華経」の研究については、天台大師や伝教大師の千万が一分にも及ばないが、この世界においては難儀を忍び、その中にあって人々に大いなる慈悲を抱いたことに関しては自分は決して二人の大師には負けはしないといっている。この日蓮聖人の自負が地涌の菩薩としての使命感にもえ、あれだけの布教を成し遂げることができた原動力となったのである。

続きは次回…

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第14章 安楽行品 その8



如来1
妙なる夢とは.........


◎夢に如来を見る

四安楽行を立派に実践し、このお経を世の中に弘めるものは、苦しみの中にあっても苦しみとは思わず、その精神の高さが顔や姿に自然にあらわれてきて、立派な人になることができる。
貧しい家や卑しい家に生まれてきても、精神の高さがこれを超え、心の中では豊かな人となる。そうすれば大勢の人がその教えを聞くようになる。万一、その人を殺そうとする人がいても、刀で斬ることもできないし、毒殺することもできない。
その人の悪口を言えば口がただれてしまうのである。

このような智慧の光明に輝く精神力の高い人は、夢の中でも「妙なること」を見る。妙なる夢とは、如来が獅子座に座って、たくさんの比丘たちに囲まれて説法しておられる夢である。人々だけではない。竜神や阿修羅のような鬼神までが如来に対して恭敬(きょうぎょう)し合掌しているのである。
われわれ凡夫は生まれてからこんな夢は見たことがない。しかし、精神の力をどこまでも高めてゆくならば、必ずこのような夢を見ることができる。

夢はその人の人格を表すものであることを銘記すべきである。どんなに昼間の生活でいいことを言ったりやったりしても、卑しい夢、邪悪な夢、淫乱な夢を見る限り、その人の精神は駄目なものである。

夢で如来の説法の姿や、観音菩薩の美しいおすがたを見る。なんと素晴らしいことか。その人は一心に念力を込めて日常生活で如来のことや観音菩薩のことを思っているからである。念じているからである。祈願しているからである。

人間の精神の力は、無限の高さまで到達しうる。夢に金色に輝く仏を見たり、観音菩薩のすがたを見ることはその人の精神に霊妙な力がそなわった証拠である。人間の意識の奥底にはこのような不可思議な霊性が宿っている。
それは夢の中にすがたを現す。さらに大いなる霊感となって仏や観音と感応することができる。四安楽行を実行し、精神を霊妙な境界に自由自在に遊ばすことができれば、仏や観音を夢で見ることができるばかりでなく、この現実の世界においても仏を直感し自在化することができるはずである

次回から、第15章 従地涌出品に入ります。

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第14章 安楽行品 その7



明珠
法華七譬(ほっけしちゆ)の第六番目の譬(たと)えの教えです。


◎髻珠(けいしゅ)の喩え

四つの安楽行を説いた世尊は、次いで「法華七譬(しちゆ)」の第六である「髻珠(けいしゅ)の喩え」によって、「法華経」の教えがもっともすぐれた教えであることを説かれる。その譬えは、大国の王が命令に服従しない小国を滅ぼし、戦功のあった者にほうびを与えるにあたって、もっとも功績のあった者に自らの髻(もとどり)の中に結いつけてあった珠を与えたというのである。

普通の戦功のあった者には、土地とか宝物とか、馬車とか衣服とかを与えたが、これらのものはどこにもあるものである。しかし王の髻の中の珠というのは、世の中にたった一つしかない貴重なものである。特別の場合でなければ決して人にあげるものではない。そこでいろいろな恩賞を他の一切の教えに譬え、髻中(けいちゅう)の珠(たま)を「法華経」の教えに譬えた。土地、宝物、馬車、衣服などを恩賞として受け取った人々も喜んだが、髻中の珠をもらった人の喜びは無上であったにちがいない。それでは、髻中の珠の譬えを述べよう。

非常に強いある国王が、命令に従わない小国を討伐した。その戦いで手柄をたてた人々に、田畑や衣服や装身具や宝石などをほうびとして与えた。ところが王は、自分の髻(もとどり)の中の明珠(めいしゅ)だけは決して誰にも与えなかった。たった一つしかない珠なので、むやみに人にこれを与えれば、王の一族が驚き怪しむからである。仏が「法華経」をめったに説かなかったのも、これと同じなのである

仏とは禅定(ぜんじょう)と智慧(ちえ)の力によって教え、国土に君臨する三界(さんがい)の王である。ところがたくさんの魔王は仏の教えに従わないので、仏に仕える将軍たちが魔王と戦ってこれを征伐した。この手柄に対して、仏は禅定や解脱や無漏(むろ)(煩悩のないこと)や根力(こんりき)(信心の力)などの宝を与え、さらに涅槃(ねはん)(煩悩の火のなくなった状態)の城までも与えたが、それでもなお「法華経」だけは与えようとしなかった。

大王でさえ、非常にりっぱな手柄をたてたものがあれば髻中の珠を与えたように、三界(さんがい)の大王であり、一切の人を教え導く力をもっておられる仏も、仏の教えを聴いて修行し煩悩をなくした賢聖(けんしょう)たちが、悪魔と闘い、煩悩や迷いを打ち破ったとき、今まで説くことがなかったこの「法華経」の教えを初めて説いたのである。末世(まつせ)にあたってこの教えを説くのは、大王が誰にも与えなかった明珠(めいしゅ)を与えたようなものである。

明珠である「法華経」の教えを聴くことができる賢聖(けんしょう)とは、悪魔と闘い、三毒を滅した人々である。悪魔とは経文に、五陰魔(ごおんま)、煩悩魔(ぼんのうま)、死魔(しま)とある。

(1)五陰魔(ごおんま)とは、種々の苦しみを生じさせる肉体と心をいう。人間は肉体がある限り苦しむ。特に病はもっとも大きな苦しみとなる。体が老いたり、弱ったりしてくると、その苦しみは切実となる。老人になって社会からまったく捨てられたとき、精神も孤独の苦しみのなかに投げ込まれる。
(2)煩悩魔(ぼんのうま)とは、心身を悩ましク苦しめる貪(むさぼ)りなどの煩悩のことである。人間は生きている限り煩悩を断ちきることができない。老いてなお衰えることを知らないのは名誉欲であるといわれるではないか。
(3)死魔(しま)とは、死のことである。死が苦しみであることは死後の世界が未知であることと、自分の死んだ後、家族が一体どうして生活してゆくかを心配するからである。

「法華経」の教えが初めて説かれるのは、このような精神的な苦しみを闘いぬいた人であることは重要であろ。肉体の苦痛と、精神の苦しみとの闘いに打ち勝った人、死と直面し、死の苦しみに耐え抜いた人にして初めて「法華経」の教えが髻中(けいちゅう)の明珠(めいしゅ)のような輝きをもつ。

さらに三毒(さんどく)を滅した人が「法華経」の教えが明珠であることを知る。三毒とは貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、痴(おろか)さのことである。三毒をなくした人にして初めて「法華経」の教えを聴くに値する。この髻中の明珠の譬えはふたたび偈文(げもん)で説かれる。


続きは次回…

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白蓮堂のブログにご訪問ありがとうございます。神界、霊界、人間界(魂.心.肉体)は綿密に繋がっています。少しでも多くの人々に真実を知っていただきたく思い仏教の中での最高峰の経典、「法華経」をご紹介させていただきます。私(渡辺西洲)が勧める¨本物の法華経¨と出遭えたなら、あなたに、奇跡が起きます! 一人でも多くの人にご縁がありますように ....... (合掌)

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