第17章「分別功徳品」その2



功徳品2
仏教は人間を超えた思想を説く
 


◎人が菩薩になるとは..........(清浄の法輪)

「寿量品」で説かれた仏の永遠の生命がわかった衆生には、多くの功徳があることを経文は明らかにする。仏は一同の代表である弥勒菩薩に対して、仏の寿命の永遠不滅を信じる者の功徳をお説きになる。彌勒菩薩は我々の代表者であるから、仏は弥勒菩薩にその功徳をお示しになる。

その功徳の第一は「無生法忍」(むしょうほうにん)ということが理解できるということである。仏の寿命が永遠であることを聞いた衆生は「無生法忍」を得ることができる。と仏は弥勒菩薩に言われた。「無生法忍」の無生とは、「無生死」であり、生死を離れること、その教えを守って続かせてゆくことが「無生法忍」である。まず、衆生は仏の生命が無限であることを聞いて、生死というのは変化のことである。人生の変化などは大いなる生命から見れば大したことはない。成功しても失敗しても、出世しても貧乏になっても、それは単なる変化に過ぎない。しかるに、仏の生命が不滅であることがわかると、生死の世界を越えようとする意志がうまれる。

永遠の仏に自分は生かされているのだ、と信じることによってこの世の生死変化の世界に執着していることから離れようという気持ちになれる。人生の利害得失を離れる気持ちを起こすには、永遠の生命を信じなければならない。この短い人生の喜怒哀楽など、永遠の生命から見れば、まったく取るに足らないことになる。こう考えれば、生死、人生の変化にとらわれない心が生じる。しかもその気持ちを絶えず持ち続けようという気になる。それが「無生法忍」ということである。

仏の永遠の生命がわかると、次に「聞持陀羅尼品(もんじだらにぼん)」を得ることができる。「陀羅尼」とは、善を行い、悪を止める力のことで「総持」(そうじ)と訳す。仏の永遠の生命を信じることは自分の永遠の生命を信じることにもなる。それによって現在の自分は過去の業の結果としてあることがよくわかり因縁によってこの生を受けて現在に自分が存在していることに、無限の感謝を持つことができるようになる。さらに未来を考えると現在のこの人生がどんなに大切であり重要であるかがわかってくる。

次に、たくさんの菩薩が「楽説無礙弁財(ぎょうせつむげべんざい)」を得ると説かれる。「楽説」の「楽」とは楽しむことではなく「ねがう」ことである。「無礙」というのは障りのないことである。「楽説無礙弁財」とは自由自在に妨げなく教えを説くことをねがうことである。無礙に説くことができる条件では、それは永遠の生命である仏を信じその仏に行かされている自分をしっかりと確信していなければならない。「楽説無礙弁財」は仏の永遠の生命を信じる者の大いなる功徳の一つであることがわかるではないか。

次には数えきれないほどの菩薩が無量の「旋陀羅尼(せんだらに)」という功徳を得ることができた。「陀羅尼」とは、先に述べたように善を行い悪を止める力であるが、これに「旋」という字がつく。「旋」とはめぐらすことで、この旋陀羅尼の力を自分だけで享受しないで、この教えを人から人へ説きめぐらしていくことが「旋陀羅尼」の教えである。

さらに数限りない菩薩が「能(よ)く不退(ふたい)の法輪ほうりん)を転てん)ず」ること「法輪」というのは教えを弘めることである。車の輪が無限に回っていくように教えを無限に広めることである。しかもそのためには「不退」の決意を持たなくてはならない。どんなことがあっても教えを弘めることを中止してはならない

不退の法輪を説くことができるようになった菩薩は次に「能(よ)く清浄の法輪を転ず」ることができる「清浄」とは報酬を求めないで教えを弘めることである。有形的にも、無形的にも、報酬を期待して教えを弘めるのはこれに反する。

何一つ報酬を求めないとは、人間が理想を考える極限の思想である。仏教は人間を超えた思想を説く。だから、これは人間ではなくて菩薩の教えとなる。清浄の法輪は菩薩でなけれは絶対に実行し得ない逆に清浄な法輪をとくことができるようになったとき、人は人でなくして菩薩になる

次回に、つづく。


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第17章「分別功徳品」その1



功徳品1
信仰によって得られる無限の宝庫を解く。
 


仏(ほとけ)、希有(けう)の法(ほう)を説きたもう 昔より未(いま)だ曾(かつ)て聞かざる所なり 世尊は大力(だいりき)ましまて、寿命量(はか)るべからず、無数(むしゅ)の諸(もろもろ)の仏子(ぶっし)、世尊の分別(ふんべつ)して、法利(ほうり)を得(う)る者を説きたもうを聞いて、歓喜身(かんぎみ)に充遍(じゅうへん)す。或(あるい)は不退(ふたい)の地に住し、或は陀羅尼(だらに)を得(え)、或は無礙(むげ)の楽説(ぎょうけつ)、万億(まんのく)の旋総持(せんようじ)あり。..............


◎真の功徳とは

仏の永遠の生命を説いた「寿量品」のあとに来るのが「分別功徳品」である。
この、「分別功徳品」の前半は「従地涌出品」の後半と共に「寿量品」を中心として「一品二半」(いっぽんにはん)といわれ、日蓮聖人が特に重視し「法華経」の中で最も重要な内容が説かれたものとした。

それは、仏とは何かがはっきりわかり、その信仰に基づいて具体的な信仰生活の内容がこの「分別功徳品」の中で説かれているからである。「寿量品」において仏の生命が不滅であることを知ったわれわれはどのような信仰生活を送ったらよいか、どんな教えを実行したら仏と同じ永遠の生命を得ることができるか、それを解き明かすのが「分別功徳品」にほかならない。「分別功徳品」は仏の永遠の生命を理解し「法華経」の教えを信じた人は、どのような功徳が得られるか、を明らかにしたものである。

ところで、注意しなければならないのは、功徳というとすぐに現世利益(げんぜりやく)のことだと思ってはならない。
「法華経」の教えを信じることによって自然にその人の人格は立派となり、顔も信仰からにじみ出た温顔となり、態度も深い信仰に裏打ちされ悠揚迫らざるものになる。このような信仰を獲得した人はおのずと社会の人々からも信頼され、尊敬を受けられ、その結果として、社会的な名誉や物質的な富も得られるようになる。

現世利益はどこまでも信仰の結果自然に生じたものであって信仰の目的であってはならない

この「分別功徳品」に書かれている功徳も現世利益を説くのではなく、信仰によって得られる無限の宝蔵を説くのである。
人間は目先の利益だけを追求して幸福であるのではない。真の幸福は永遠の仏の生命に自分が生かされていることを自覚することにある。

「分別功徳品」は「法華経」の信仰に生きる人たちが、どのようにして真の功徳を受けることができるかを、詳細に具体的に説いたものである。

次回に、つづく。


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第16章 如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)その6



如来寿量品1
宇宙の大生命=仏の生命と合一(ごういつ)することが...........
 


◎永遠の生命に生きる

「寿量品」の本文はここで終わり、次は有名な「自我偈」(じがげ)といわれる偈文(げもん)になる。法事のとき、日蓮宗や禅宗などで、この「自我偈」が読誦される。「自我得仏来、所経諸劫数」で始まるから「自我偈」といわれる。この偈文の部分はほとんど前のくり返しである。

この「如来寿量品」が「法華経」の核心であるのは、第一に仏の本体がはじめて明らかにされたことである。仏の寿命は永遠不滅であり常住であることがはっきりし、仏とは永遠不滅な宇宙の生命そのものであることがはっきりと自覚されたことである。第二は、本仏の現れとして迹仏(しゃくぶつ)、すなわち釈尊が何故に入滅しなければならなかったか、その理由が明らかになったことである。われわれが久遠実成(くおんじつじょう)の本体の大生命に生かされていることは、この「如来寿量品」を見ることによってはっきりとわかった。「如来寿量品」の最後は、

毎(つね)に自(みずか)ら是(こ)の念を作(な)す。「何を以(もっ)てか衆生をして無上道(むじょうどう)に入り、速(すみ)やかに仏身(ぶっしん)を成就(じょうじゅ)することを得(え)せしめん」と。

という経文で終わる。われわれが本仏の久遠(くおん)の大生命に生かされていることをしっかりと自覚するとともに、仏はわれわれを無上道に入らせ仏身を成就させようと考えてくださる。この「如来寿量品」で、はじめて永遠の生命である本仏の相(すがた)がはっきりとわかり、われわれはこの本仏の大生命の中に生かされていることを悟るとき大いなる勇気が生じる

この自覚は頭で理解されるものではない。身体的な行(ぎょう)によってこれが得られてくる。「南無妙法蓮華経」の題目を唱えるのでもよいし、「南無釈迦牟尼仏」でも「南無観世音菩薩」でもよい。あるいは、宇宙の霊気と自己の気を一つに合わせる太極拳や合気道のようなものでもよい。何でもよいが自己の肉体と精神を朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)してゆくとき、必ず大いなる宇宙の大生命=仏の生命と合一(ごういつ)することを知る

自分は自分を超えた大いなる存在に支えていることを知る。自分の存在を大いなる生命の中に帰投(きとう)することができるとき、人は宗教的安心を決定(けつじょう)することができる。そこから無限なる大いなる生命を感得(かんとく)することができ、深い心の中から無限の歓喜が湧き出てくることを知る


次回から、第17章分別功徳品(ふんべつくどくほん)に入ります。


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第16章 如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)その5



毒薬
毒薬で苦しんでいる子供たち(我々)に、父(お釈迦様)の次の一手とは!
 

◎良薬を飲む

仏の生命が久遠常住(くおんじょうじゅう)であるのに、どうしてこの地上に現れた釈迦は八十年で入滅されたのか、その意味を考えるのが次の段である。

然(しか)るに今(いま) 実に滅度(めつど)に非(あら)ざれども、而(しか)も便(すなわ)ち唱(とな)えて、当(まさ)に滅度(めつど)を取るべしと言う。如来是(にょらいこ)の方便(ほうべん)を似(もっ)て、衆生を強化(きょうけ)す。

仏が八十年間この世に現れて入滅されたのは、真の入滅ではない。自分が今から入滅すると釈尊が言われたのは、実は衆生を方便をもって強化(きょうけ)するためなのである。衆生強化の方便として入滅することを予言されたのである。生きていて教えを説くのも方便であり、この世から姿を消して教えを説くのも衆生強化の方便なのである。

仏がもし入滅しないで、いつもこの世におられる、いつでも会って教えを聴くことができる、と考えれば、一生懸命に教えを聞こうという気にならない。いつでもできるということは、いつもやらないということになる。仏にいつでも会えて、いつでも教えを聴くことができると思うと、どうしてもわがままな気持ちを起こすようになる。さらにいつも同じ教えを聴いていると、またか、と思うようになり、飽きてしまう気分になりやすい。人間とはまた何となまけるようにできていることか。

すると「難相(なんそう)の想い」と「恭敬(くぎょう)の心」がなくなる。ああこの人に遭(あ)えて教えを聴くことができてほんとうによかったという気持ちが、「難相の想い」である。千里を遠しとせずに教えを聴く気持になるのはこの想いによる。またそうなると、その人を恭敬(くぎょう)する気持になってくる。

本仏は久遠常住(くおんじょうじゅう)であるが、方便としてこの世に現れる仏には入滅がある。だから「諸仏の出世には、値遇(ちぐう)すべきこと難(がた)し」となる。仏に遭って説法を聞くのは難値難遇(なんちなんぐう)である。

諸(もろもろ) の比丘(びく)、 如来は見ることを得(う)べきこと難(かた)し。

とあるように、仏に遭うことは容易なことではない。地上に現れた釈尊に2500年前、インドにおいて会うことができたのは、恵まれた仏弟子たちに限られる。容易に遭(あ)えない仏であることがわかると、「心に恋慕(れんぼ)を懐(いだ)き、仏を渇仰(かつごう)して、便(すなわち)善根(ぜんこん)を種(う)ゆべし」となる。恋慕というのは離れることができない、そばにいたい、という気持ちである。

世の中に現れて教えを説き、それが終われば入滅するのは何も釈尊だけでなく、どんな仏もそうである。仏がこの世の中から去って姿を消すのは衆生を救うためであり、衆生に信心を起こさせるためである。

この意味をさらによくわからせるために譬喩(ひゆ)を説く。 (法華七譬の最後の譬話し、良医病子(ろういびょうし)です)

(たいへん聡明な良い医者がいた。その人に大ぜいの子供がいた。父の医者は所用で他国へ行った。その留守の間に子供たちが毒薬を飲んだ。父が用事を終えて国へ帰ってくると、子供たちが毒薬を飲んで苦しんでいた。親の顔を見ると喜んだ。子供たちは父親に、自分たちは毒薬を飲んで苦しんでいるので、どうか良い薬を作ってこの病をなおして下さい、と頼んだ。そこで父はよくきく薬を与えた。この良い薬を飲めば苦しみを除いて病を治すことができると言い聞かせた。

子供のなかで、毒が全身にまわってしまった者は、父がせっかく作ってくれた良薬を飲もうとしなかった。あまりにも毒が身の中に深く入っていたため、この良薬の匂いをかいでも、これは良薬であるということがわからなくなって、飲もうとしなかったのである。

父は「此(こ)の子(こ)愍(あわれ)むべし」と思った。何とか方便をもうけてこの良薬を子供たちに飲まさなければならないと思った。そこで父は子供たちに、「お前たちよく聴け、自分は年をとってもうじき死ぬであろう。自分が死んだ後では、お前たちが困るだろうから、ここへ良い薬をおいておくから、これを飲みなさい。病気がなおらないと心配するな」と言って、他国に行ってしまった。しばらくすると、他国から使者が来て、子供たちの父がすでに死んだことを伝えた。

子供たちはびっくりした。父がいたら自分たちを救ってくれたのに、父は他国で死んだとは、誰も自分たちを見とってくれるものはいない。と考えたとき、子供たちの心は覚醒した。そして、すぐこの薬を飲んだために病を治すことができた。父は子供の病が治ったことを聞いたので、急いで国へ帰ってきた。)


父が他国で死んだと伝えたのは方便(ほうべん)であった。子供たちを目覚めさせるためであった。この父とはすなわち仏のことで、子供たちはわれわれ衆生のことである。われわれ衆生は仏が入滅したと聞いて、仏が残した教え(=良薬)を心から実行することになり、救われたのである。

仏が入滅されたのはまさしく衆生を救うための方便であることが、この譬喩(ひゆ)によってよくわかる。


次回に、つづく。


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白蓮堂のブログにご訪問ありがとうございます。神界、霊界、人間界(魂.心.肉体)は綿密に繋がっています。少しでも多くの人々に真実を知っていただきたく思い仏教の中での最高峰の経典、「法華経」をご紹介させていただきます。私(渡辺西洲)が勧める¨本物の法華経¨と出遭えたなら、あなたに、奇跡が起きます! 一人でも多くの人にご縁がありますように ....... (合掌)

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