第18章「随喜功徳品」その5



釈迦像
「法華経」には、因縁が熟さなければ遭うことはむずかしい!



◎千万劫(せんまんごう)にも遭い難し

経文は今まで説いたことをふたたび偈文(げもん)で説く。ほとんどその内容は同じであるが若干その表現においては異なるところがある。たとえば、大施主があって、まず、財施(ざいせ)を与え、次に死期の迫った人に法施(ほっせ)を与えることが前にも説かれたが、そのなかに、

我今(われいま)、応当(まさ)に教えて、どうかを楽しむべしと念(おも)うて、即ち為に方便して、涅槃(ねはん)真実の法を説かん。世は皆、牢固(ろうこ)ならざること、水沫(すいまつ)、泡焔(ほうえん)のごとし。汝等(なんだち)、ことごとく応当(まさ)に疾(と)く厭離(おんり)の心を生(しょう)ずべし。

とある。この大施主は死期の迫った衆生に法施(ほっせ)をほどこすにあたり、「世は皆、牢固(ろうこ)ならざること、水沫(すいまつ)、泡焔(ほうえん)のごとし」と説いた。これは世の中のものはすべて水泡のようなもので、無常なることを教えたものである。「諸行無常」(しょぎょうむじょう)を説いて、この世を厭(いと)い、この世を捨て去り、涅槃(ねはん)の世界に入ることを教えたのである。しかし、この悟りは小乗の阿羅漢(あらかん)の悟りである。

阿羅漢(あらかん)の悟りは、自分だけの煩悩(ぼんのう)を除く、世間の繋縛(けばく)を一切たち切る。自分だけ安泰の世界に入ればよいのであって他人はどうでもよい。これは一種の世捨て人の哲学であり、傍観者の思想である。現代の世の中に生きているわれわれは捨て去ろうと思っても、世間の繋縛(けばく)である妻子、職業などをそう簡単に捨てきれるものではない。そのつながりの泥沼の中で生きてゆくのが人生の真相である。

世間を無常と観じて逃避することができないわれわれは、一体、どんな教えに従えばよいか、そのとき、燦然(さんぜん)として真理の光を放ってくるのが「法華経」の教えなのである。「法華経」の教えを聴いた第50番目の人が、経文の一句だけ聴いて、ありがたい、この教えを実行しようと、随喜(ずいき)の気持ちを起こせば、この功徳のほうが阿羅漢の悟りを得た人よりもずっと勝っているのである。まして初めて教えを聴いた人や、他人に教えを聴かせようとする人の功徳は大きい。
経文は、

若(も)し一人を勧めて将引(しょういん)して法華を聴かしむることあって言わん、此(こ)の経は深妙(じんみょう)なり、千万劫(せんまんごう)にも遭(あ)い難しと。

と言う。このなかで重要ななのは「此の経は深妙なり、千万劫にも遭い難し」という言葉である。仏の教えに遭うことのができるのは、ほんとうに不思議な因縁によることが説いているのである。妙法(みょうほう)に遭うことは難中の難である。現在、禅宗などで葬式や法事のとき、僧がお経をあげる前に「開経偈」(かいきょうげ)というものを唱える。

※無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法は、百千万劫にも遭遇(あい)難し、我(わ)れ今見聞(いまけんもん)する事を得たり。願わくは如来の真実義(しんじつぎ)を解(げ)し奉(たてま)つらんことを。

この「開経偈」の大意は、「仏法にめぐり遭うことはまことに稀(まれ)なことであり、因縁が熟さなければ遭うことはむずかしいにもかかわらず、いま仏のみ教えである経典に接することができた。この出会いの歓喜によって、自分は如来の真実の教えを体得するのである」という意味である。

この「開経偈」は、すぐれた仏法の教えに遭うことの感激を述べているのであるが、それは、この「法華経」の「随喜功徳品」の「此の経は深妙なり、千万劫にも遭い難し」という経文とまったく同じことを言っているのである。

次回に、つづく。


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第18章「随喜功徳品」その4



悪鬼
悪鬼も法華経には太刀打ち出来ない!



◎正しい修行とは

「法華経」の教えを他人に聴くことを勧めただけでも、大いなる功徳を得ることができる。
まして一心に聴き、一心に説き、一心に読誦(どくじゅ)し、さらに大勢の人々の中に入って細かく説き分けて、その教えを実行するならば、その功徳がいかに大きいかを、仏は彌勒に観ぜよ、とお命じになった。観ずるということは単に見るのではない。心でしっかりと念う(おもう)ことである。真理を心で念うことである。じっとその真相を見分けることである。

まず一心に聴くこと。聴かなければその教えはわからない。
次には他の人に自分の力に応じて一心に説くことである。さらに一心に読誦することである。

かつて習い覚えた「法華経」を一心に念誦(ねんじゅ)していた若い僧が、悪鬼から逃れることができた話もある

ここで大切なのは「一心」ということである。一心とは無我の心ということである。そこに私情が少しでもあってはならない。一心に説くことは相手と一つになって説くことにもなる。相手と自分の心がまったく一つにならなければ一心には説けない。一心に説くだけではだめで「説のごとく修行せんをや」とあるように、教えのとおりに実行することによって完全となる。随喜の心は実行によってこそ本当にその精神が示されるのである。

修行にもいろいろある。武人が相手を殺すことだけ考え、殺人刀を鍛錬していればその剣はついには魔剣となり邪剣となる。沢庵禅師の「不動智神妙禄」。は当時の剣が人を斬るためだけの邪剣に堕し、魔剣に陥っていたのを正すために、当時の徳川家の指南役である柳生宗矩(やぎゅうむねのり)のために書かれたものであるが、剣の道と禅の道がまったく一つであり、その究極の目的とするところが「剣禅一如」(けんぜんいちにょ)であり、「とどまる心」すなわち煩悩、執着をたち切ること剣の道としなければならないことを説いた。

宗教の修行においても、ただひたすら坐禅を組めばよい。念仏をすればよい。題目を唱えればよいというものではない。「如説修行」(にゅせつしゅぎょう)とあるように「法華経」の教えに従って、教えの通り修行するのでなくては、悪魔や、悪鬼や小乗の羅漢(らかん)にはなれても、仏にはなれない

次回に、つづく。


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第18章「随喜功徳品」その3



リコンにして
利根(りこん)にして智慧ある人とは。



◎円満な人格とは

ところがこのような大功徳よりも、第50番目に法華経の教えの一偈を聴いて随喜する人のほうが功徳が大きいという。仏は彌勒に明言した。、この施主が大勢の人々にものを与え、さらに教えを説いて最高の教えを得させたとして、その功徳は「法華経」の教えを語り聞いた第50番目の人が、経文のたった一偈を聴いて、ありがたいと思った功徳に比較すると百分の一、千分の一、百千万億分の一にも及ばない、と仏は断言されたのであった。

小乗の教えを聴いて悟りを開くよりは「法華経」の教えを一句でも聴いて、これを実行する方がはるかに立派であると明言したのである。小乗の悟りは自分の完成、「法華経」の教えは利他のために生き、他人のために実行する教えであり、その功徳は小乗の最高の悟りより勝る、というのである。

第50番目に「法華経」の教えの一偈を聴いてありがたいと思って実行する功徳でさえも無量無辺のたいへんな功徳であるのに第1番目に教えを聴いて随喜する人の功徳は、何ものにも比べることができないほど大きい。最後の人でもたいへんな功徳であるのに最初の人の功徳はどんなに多きいことか。この50人まで伝え伝えていったその功徳がたいへんに大きいという意味で、この経文の箇所を「五十展転(てんでん)の功徳」と昔から呼んでいる。

経文はつづいて聴法の縁を与えることを説く。「法華経」を説いているところに人が入ってきたのを見て、どうぞここへおかけになって教えをお聞きください、といって自分のそばで教えを聴かせる。
もし、座る場所がなければ、自分の腰掛けている場所を半分与えて教えを聴かせてあげるならば、この人の功徳は帝釈天や梵天のいるところに生まれることができると説く。

誘われて教えを受けた人の功徳は陀羅尼菩薩(だらにぼさつ)とともに生まれ住むことができる。陀羅尼菩薩とは、人に善いことを実行させ悪いことをやめさせる菩薩のことである。

人に善い縁を与える功徳は大きい。人に教えを聴くことを勧められる人は、「利根(りこん)にして智慧ある人」である。人に勧めることができるには自分が教えを深く知ろう。深く極めようという利発さが必要であり、自分がわからなければ、決して人に勧められるものではない。智慧がありもっともっと「法華経」の教えを知りたいという熱意のある人であるからこそ、人に勧めることができるのである

次回に、つづく。


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第18章「随喜功徳品」その2



随喜功徳2
この世の人間は、千差万別であって同じ人は一人もいない。




◎力に応じて説く

この「随喜功徳品」の質問者は弥勒菩薩である。弥勒菩薩が仏に「この『法華経」の教えに随喜するものにはどんな功徳、どんな幸せがりますか」と質問した。まだまだ疑っている者があるので、弥勒菩薩が大衆に代わってこのように質問したのである。しかも「世尊滅度の後に」とことわっているので、世尊が入滅したのちに『法華経』の教えに随喜すればどんな功徳があるのか、と言っているのである。

これに対して、仏は弥勒菩薩に答えた。如来の滅後に仏教を少しでも信じる者は、たとえ年を取っていても、年が若くても、「この『法華経』の教えを聴いて随喜する者はどんな人でも僧坊や、閑静な住宅街や、都の賑やかな町や田舎の村へ行き、その聴いた教えを父母、親族、友人、知り合いなどに自分の能力に応じて演説したとしよう。そうすれば、この教えを聴いた人が随喜してさらにこの教えを弘めることになる。

またその教えを聴いた人がさらに随喜して教えを弘め、五十番目の人々に及ぶとしよう。この中で経文は

 其(そ)の所聞(しょもん)のごとく、父母(ぶも)、宗親(しゅうしん)、善友(ぜんゆう)、知識の為に力に随って演説せん。

と書いているが、この経文の中には二つの大切な言葉がある。

一つは「其の所聞のごとく」であり、他の一つは「力に随って演説せん」ということである。
「法華経」の教えを聴いて誤りなく自分が聴いた通りを人に伝えることは容易なことではない。聞いた通りに人に伝えるということは、極めて簡単なようであるが、実際は難中の難なのである。

次の「力に随って演説する」ということも大切である。自分の能力に応じて教えを説くのがよく、あまり背伸びして説いてもかえって相手は理解してくれないことがる。といっていい加減に説いてはならない。
どんな人に対しても全力を傾注して説かなければならない。
人から人へ随喜の心が生じるように、仏の教えを説くのであるが、第五十番目に教えを説き随喜の心を起こした人の功徳を次のような比喩によって説明する。

 あらゆる生命のある者にはその欲するところに随ってそのものに楽しみを与えるべき物を与えると説く。教えを聴くものの中には
ありとあらゆる人間がいる。善い人間もいれば悪い人間もいる。教育程度の高い人もいれば低い人もある。この世の人間はそれこそ 千差万別であって同じ人は一人もいない。このような千差万別のどんな人でもその人なりの欲求を持ち、その人なりの願いを持つ。まず、物を与えることによって、それらのどんな人の願いもかなえてやるというのである。

それは人間だけでない。ありとあらゆる生きとし生けるものに対して仏はその欲するところに従って願いをかなえてくれるというのである。犬は犬なりに、猫は猫なりに、生きているものにはそれぞれの欲求がある。その願いを満足させろということはたいへんな思想である。

仏の教えを聴いて随喜する生きとし生けるものには、金銀、瑠璃(るり)、瑪瑙(めのう)のような美しい宝石を与える。あるいは象、馬、車、七宝で飾った住家を与えると説く。
まず、物を与えて喜ばす。これらの立派なものをもらった衆生も、やがて80歳を過ぎれば髪は白くなり、しわが多くなり、死期も近づいてくる。そこで仏はこれらの衆生に教えを与えようとした。物をもらっただけでは単に欲望を満足させただけで終わる。仏教では布施(ふせ)には財施(ざいせ)と法施(ほっせ)がある。財施とは物を与えること。法施は教えを与えることである。財施は物を法施は心を与えるのである。

物を与えた後に教えを宣布し、教えを示すのが仏教徒の布施のやり方である。与えられた財施を真に生かすには法施がなければならない。このような法施を受けた衆生は、小乗の修行の結果である阿羅漢道(あらかんどう)=最高の悟り に入ることができ、この段階に達すると、あらゆる煩悩がなくなり、深い禅定のナかに入り解脱を得ることができるようになる。

仏はこのようなたとえ話をしてから、財施や法施を衆生に与える施主の功徳というものはどのように多いものであろうか、と弥勒菩薩に質問した。彌勒がいうには、「それはたいへんな功徳であります。物をもって生きとし生ける衆生を満足させるばかりでなく、教えをもって人の煩悩を取り除くのであるから、その功徳たるや無量無辺であります。」と答えたのである。

次回に、つづく。


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白蓮の香り

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白蓮堂のブログにご訪問ありがとうございます。神界、霊界、人間界(魂.心.肉体)は綿密に繋がっています。少しでも多くの人々に真実を知っていただきたく思い仏教の中での最高峰の経典、「法華経」をご紹介させていただきます。私(渡辺西洲)が勧める¨本物の法華経¨と出遭えたなら、あなたに、奇跡が起きます! 一人でも多くの人にご縁がありますように ....... (合掌)

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