第27章 「妙荘厳王本事品」その1



2017 3 26 3

家庭の中で仏法を説くことは容易ではない。


◎妙荘厳王本事品(みょうしょうごんおうほんじほん)

肉身に教えを弘める............. 妙荘厳王本事品は、これまでの「法華経」の各品とは、その教えが少し異なっている。それは親子とか夫婦の間で教えをどのように弘めるかということが説かれているからである。

家庭の信仰というのはたいへんむずかしい。親が厳しい宗教者であるため子どもが親に反発してかえって放蕩(ほうとう)息子になることもある。逆に子どもはりっぱに仏教の教えを信じて真面目に生活しているのに、親が道楽放題、したい放題の生活をしている例もある。このような親に対して子どもが正しい教えを説くことも至難のわざである。また夫婦の場合、妻が「法華経」の正しい教えを信仰しており、頑(かたく)な夫に教えを説いて「法華経」の信者にすることも容易なことはない。

家庭の中で仏法を説くことは容易ではない。「法華経」が末法の世の中に流布するには、まず家の中の信仰を大切にしなければならないことをこの 妙荘厳王本事品はわれわれに教えてくれる。

 国に君主ありて一切安(やす)きことを得、この故に王は一切衆生、安楽の本とす。

国王こそ一切衆生が安楽に生活できる根本である。

 王、慈心(じしん)をもって諸(もろもろ)の人民をみること既に子の如(ごと)し。かの一切の人民もまた王においてその父母(ぶも)の如(ごと)し。

国王は人民に対して慈悲の心をもって、わが子のように慈しまなければならないし、人民は国王に対するには父母に対するような気持が大切である。

信仰は人間の精神を変えしっかりした精神は人の実行できないことでもやれるようになる。真に不思議なことは平生(へいぜい)の何でもないことをたえず不断に実行することなのである。いちばん簡単なことをつづけて実行することができるのが、神変(じんぺん)であり、不思議なことなのである。


次回につづく。


法華経の入手の仕方や方法は

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第26章 陀羅尼品(だらにほん)その4



2017 3 26

仏教に帰依(きえ)した鬼女たちの使命は絶大です。


◎鬼子母の呪文(その3)

鬼女たちが護るべきものが二種類ある。第一には「法華経」の名を受持(じゅじ)する者を護ること、第二には「法華経」を具足(ぐそく)し、受持(じゅじ)したうえ供養する者を護ることである。

第一の「法華経」の御名(みな)を受持(じゅじ)せん者」というのは、「法華経」の内容を充分によく研究し、その教えの内容がよくわかっていないが、ただ「法華経」というものは尊いものであり、この「法華経」の御名だけでもありがたいと思う人のことである。第二の「法華経を具足(ぐそく)し受持(じゅじ)し供養する者」というのは、「法華経」の内容が本当に身にそなわることが具足(ぐそく)であり、内容がよくわかってくると、それをありがたい教えであるから実行するようになる。それが受持(じゅじ)である。

こういう人たちを護る功徳は、はかり知れないほど大きいと仏は言われたのである。「法華経」の名だけでもありがたいと思う人や、「法華経」を供養する人を護るのが仏教に帰依(きえ)した鬼女たちの使命であった。「法華経」や仏に花を捧げたり、香をたいたり、灯火をともしたり、合掌して帰依する姿は、まわりの人々を感化せずにはおかない。その尊い姿を見たまわりの人たちも、また宗教心を起こすようになる。ひとたび仏心に目ざめた鬼女たちは、護法の神となって「法華経」の行者の守護者となったのである。

そこで最後に仏は、お前さんたちの「法華経」を弘める法師たちを喜んで護りななさい。と結論を示されたのである。この「陀羅尼品」を仏(釈尊)がお説きになると、六万八千人の人々が、無生法忍を得たのであった。

無生法忍とは、「法華経」の教えを弘める人たちを護ることがどんなに大切なことか、というのがよくわかって、そこに心の安らぎを得ることが「無生法忍を得たり」ということなのである。


追伸、この陀羅尼品は、法華経とご縁があった人だけの最強のお守りです。是非とも、まだご縁のない人にも法華経を先ずは、受持(じゅじ)していただきたいと願う次第です。(白蓮堂一同)

次回から、第27章 妙荘厳王本事品(みょうしょうごんおうほんじほん)に入ります。


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第26章 陀羅尼品(だらにほん)その3



2017 3 22

仏の教えに帰依した鬼子母神。(かつては、人間の子を食らう鬼女)


◎鬼子母の呪文(その2)

若(も)し我が呪(じゅ)に順(じゅん)せずして、説法者を悩乱(のうらん)せば、頭破(こうべわ)れて七分(ぶん)と作(な)ること、阿梨樹(ありじゅ)の枝の如(ごと)くならん。父母(ぶも)を殺(しい)する罪の如く、亦(また)油を圧(お)すつみ、斗秤(とうしょう)をもって人を欺(ご)おうし、調達(じょうだつ)が破層罪(はそうざい)の如く、この法師を犯(おか)さん者は、当(まさ)に是(か)くの如き罪を獲(う)べし。


「法華経」はたいへん尊いお経であるから、この「法華経」を弘めることを邪魔するものは、罪が重いということを述べたのものである。「法華経」を弘める法師に邪魔するとどうなるか。まず頭が破れて七つになる。「法華経」の教えを弘めることを妨害する罪は父母を殺す罪と同じように重罪である。父母を殺す罪は五逆罪の一つで最大の罪であることは、誰でもよくわかる。また油を圧(お)す罪にもたとえられる。インドでは、油をしぼるとき急に重い石で圧力を加えると重しによって虫がおし殺され、また油の味も悪くまるのだそうで、これもインドの人のとってたいへんな重罪にあたるそうである。

が、それと同じように「法華経」を妨害する罪は大きいというのである。さらに、升(ます)、秤(はかり)の不正なものを作って人を騙す罪にもあたるという。自分だけの利益をはかるために人を騙すことは、昔のインドでは大罪とされたのであり、それと同じ罪にあたるという。さらに、提婆達多が仏弟子の和合を被る罪を犯したが、この罪も五逆罪の一つであり、大罪である。仏教の戒律では破僧罪というのであり、教団の和合を被る罪は大きいとされたのである。この破僧罪に匹敵するのが「法華経を弘めることを妨害する罪なのである。 しかし、提婆達多は「法華経」により改心して遂に成仏を得ることができた。(第12章、提婆達多品)

鬼女たちはかつては悪人であったが、仏の教えに帰依するようになってからは、「法華経」を弘める者を守護する人たちに変わっていた。「法華経」を弘める人々を護り、この人たちが安隠に布教することができるようにいろいろな障害を取り除き、もし、他人が毒薬をこれらの法師に盛ったりしたならば、その毒を消して害を受けないように護ってやりましょう。と決心したのである。


次回につづく。


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第26章 陀羅尼品(だらにほん)その2



2017 3 8 1

四天王に護(まも)られた人生は、最強です!!

四天王とは........... 法華経を守護する毘沙門天(多聞天)・持国天・増長天・広目天の総称。帝釈(たいしゃく)天に仕え、須弥山(しゅみせん)中腹で四方を守る武神。


◎毘沙門天の呪文 

    アリ、................................................................................................... 。

※あまりにも、強い呪文のために控えさせていただきます。

毘沙門天は四天王の一人で、北方の守護神である。夜叉(やしゃ)と羅刹(らせつ)の二神をひきつれて道場を護り説法を聴くので、多聞天とも呼ばれる。多聞天が説いた神呪は、富についての呪文である。人間の中で一番富んで人はどんな人か。財産や権力をもった人が富んだ人ではない。「法華経を信じる者がもっとも富んだ人なのである。この神呪を唱えることによって「法華経」を弘める法師を守護し、いろいろな障害がないようにしようといった。

◎持国天の呪文

   アキャネ、....................................................................... 。

持国天は東方の守護神である。無数の乾闥婆(けんだつば)、(天上の音楽の神様)に囲まれていた。この陀羅尼神呪は四十二億の仏の説かれたものであり、この教えを弘める法師に害を加えるものがあれば、これは多くの仏に害を加えるのとまったく同じである。


◎鬼子母(きしも)の呪文(その1)

   イデビ、......................................................................................................... 。

「法華経」を読誦し受持する人を守護する、最強の神呪です!

羅刹女(らせつにょ)も鬼子母(きしも)もみな鬼のような女のことである。鬼子母というのは、他人の子どもを食べる鬼女である。他人の子どもを食べていた鬼女を戒めるために、仏は鬼女の五百人の子どもの中の一人を隠した。鬼女は自分の子どもがいなくなったので悲嘆にくれた。自分の子に対しては盲愛していたのだ。そこで仏は鬼女に言った。「五百人の子どもの中の一人ですら、お前は、このように悲しむ。お前に食われる親の胸中は、どんなに悲しいことか」と論(さと)されたのであった。鬼子母はやっとわが身につまされて、今までやってきた罪を自覚し、それ以後は、仏の教えに帰依(きえ)したのであった。後には安産と幼児を保護する鬼子母神」(きしもじん)となって現在でも信仰されている。

呪文を説いた鬼子母たちは、さらに法師を守護する決意を述べる。たとえ頭を足で踏みつけられるような事があっても耐え忍ぶから、どうぞ法師を悩ますことがないようというのである。さらにあらゆゆる鬼や魔物が「法華経」を弘める人をおそって、病気にかからしめることがないように護(まも)るというのである。


次回につづく。


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第26章 陀羅尼品(だらにほん)その1



2017 3 8 1 2

法華経を受持(じゅじ)、読誦(どくじゅ)する人を守護する、最強の呪文(陀羅尼)!!
(手のひらに置かれている(宝珠)は、あなた自身)


◎「陀羅尼品」(だらにほん).............. 陀羅尼(だらに)ということは、どういう意味であろうか。陀羅尼とはダラニという梵語(ぼんご)に漢字をあてはめたもので、「総持」(そうじ)と訳されている。一般的には、すぐれた霊力をもつ呪文のことを陀羅尼というのである。

薬王菩薩は質問した。「世尊よ、善男子、善女人がよく「法華経」を受持(じゅじ)し、読誦(どくじゅ)し、意味がよくわかり、書写したならば、どのくらいの福徳が得られるのでしょうか」と。この薬王菩薩の問いに対して仏は、諸仏を供養すれば、多くの福が得られたと答えた。さらに仏は、このお経の四句偈(しくげ)を受持し、読誦するだけであっても、その功徳ははなはだ多い、さらにお経の意味を説明したり教えの通りに修行するならばその功徳はいっそう大きいと言った。

薬王菩薩は、世尊よ、自分は「法華経」の教えを世の中に弘める者に陀羅尼呪(だらにじゅ)を与えて、その人を守護しようと思います。そして四十三の呪文を述べたのである

    アニ、マニ、 ............................................................................................ 。

あまりにも、強い呪文のために、ここでは控えさせてもらいます。

この呪文は、自分が考えだした呪文ではなく無数の仏六十二億恒河沙等)が説くところのものであり、この呪文を唱えて「法華経」を弘める法師を迫害したり、その活動を妨害したりする者は仏を迫害し、仏を妨害するのと、まったく同じなのだという。この呪文によって教えを弘める法師は、どんな困難にあっても退くことなく教えを説き進んでゆけば大ぜいの人が、それによって利益を得ることができるようになる。教えを弘める法師を護ることはただ単に一人の法師を護るというのではなく、その教えを聴く多くの人々の利益も護ることになるのである。だからこそ、この神呪が法師を護る功徳というのは、あまりにも大きいのである。

◎勇施菩薩(ゆうぜぼさつ)の呪文 

    ザレ、マカザレ ................................................................................... 。

この陀羅尼神呪は無数の諸仏の説かれたものである。無数の諸仏が説かれたものである。この呪文の精神を体得して教えを弘めるならば諸仏もまた喜んで随喜してくださりみな一緒に喜んで力をそえてくれるであろう。教えを弘めている法師を侵害したり妨害する者は諸仏に迫害を加えるのとまったく同じである


次回につづく。


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第25章 観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)その3



2017 3 12 2

森羅万象すべて観世音菩薩の応現。(私たちは、日々観音さまの手のひらの上で試されています)



◎一人の菩薩を拝もう

一心に無数の菩薩の名前を心の中に刻み込み、飲食(おんじき)、衣服(えぶく)、臥具(がぐ)、医薬(いやく)など、供養すれば大きな功徳がある。多くの菩薩に供養しただけでも功徳があるのに、もし観世音菩薩の御名を思い、たった一瞬の間でも礼拝し供養するならばさらに大きな功徳があると説く。大ぜいの菩薩に供養する功徳とたった一人の観世音菩薩に供養する功徳とは、まったく変わることがないというのである。

一人の仏や菩薩に自分の全体を投げだし、信じることによってその仏や菩薩はその人を守護してくれるようになる。一つに打つこむその気迫が、その仏や菩薩に感応するのである。一心称名と同じであって、たった一人の菩薩を一心に信心する。一心に供養する。一心に帰依することによって、その仏や菩薩が功徳を与えてくれるのである。

われわれ衆生には、能力の劣ったものもいればすぐれた者もいる。ありとあらゆる能力、環境を異にした者がいる。人間の能力、生き方は千差万別である。その千差万別の人間に教えを説くには、観世音菩薩が自由自在に姿を変えて応現しなければならない。「念ずれば現れる」というが、念(おも)うことによって、見えない者の姿が見えるようになる。どんなに遠く離れていても、想いが強ければ強いほど、想いをかけられた人が姿を現すものなのである。

仏心となって救うべき人がいれば、観世音菩薩は仏身に姿を変えて説法する。そこで仏身、縁覚身、梵王身、帝釈天など、ありとあらゆる三十三身に応現して教えを説く。三十三身というのは、三十三に限定するのではなく無数のものにも応現することをいう。人間や菩薩に限らず、花、木、虫、鳥、魚、となって教えを説くこともある。森羅万象すべて観世音菩薩の応現とみなすこともできる谷川のせせらぎの音も観世音菩薩の説法なのである。

観世音菩薩を一心に信じ、自分自身がまた観世音菩薩の御心(みこころ)を心とするとき畏(おそ)れるものはなくなる。どんな苦しい状況に身を置かれてもくじける心はなくなる。畏れる心がないとき人はどんな困難にも立ち向かうことができる。無畏を施す力を観世音菩薩はもっているのである。

追伸、本当に、観音経は素晴らしいお経です。いつでもどこでも¨観音経¨を合言葉に、私の関係者の皆さまに勧めています! 実は、宇宙の¨¨の神様が観音さまなのですよ。(西洲)


次回は第26章、陀羅尼品(だらにほん)に入ります。


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第25章 観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)その2



2017 3 8

自分自身の内面を変えていくことが信仰である。


◎一心称名(いっしんしょうみょう)

一心に御名(みな)を称えることは、観世音菩薩と一体となることである。御名を称えることによって観世音菩薩がその相(すがた)を現してくれる。口で声を出して称えることが大切なのである。「南無釈迦牟尼仏」とか「南無観世音菩薩」と称名することによって、観世音菩薩が自分の心の中にあらわれてくる。それによって自分の悩んでいた心が明るくなる。そのために一心に称名する必要がある。

観世音菩薩の御名を称えるならば、あらゆる災難から逃れることができる。経文では、火難、水難、風難、剣難、悪鬼難、枷鎖難、怨賊難の七難をといてゆく。災難にあったとき、平然となれる心の修養をすることはむずかしい。しかし、「南無観世音菩薩」と称えることは、われわれ凡人でも可能である。一心に観世音菩薩の御名を称えていれば、自然に心が落ち着いてくる。突然の災難に際しても身を処する方法を見つけ出すことができる。心の持ち方が明るい方に向かうことができる。

自分自身の内面を変えていくことが信仰である観世音菩薩の御名を称えることは自分自身の心を慈悲の心に変えてゆくことである。

自分の心持ちさえしっかりした不動の境地にあれば、どんなに縛られていても自由であることができることを言っている。正しい信心がありさえすれば精神は自由であり得るのである。

無畏(むい)を持って衆生に施(ほどこ)す

災難にあったとき、一人の人が真っ青になってふるえると全部の人がおびえる。一人の人が泰然自若としているとき、皆が安心する。 ¨無畏を持って衆生に施す¨ とはこのことである。

◎三毒を捨てよ。

性欲(淫欲) 瞋恚(しんに) 愚痴 ................... 三毒。

性欲の強い者は、観世音菩薩のことを思いなさい、というのである。観世音菩薩を敬う気持ちをおこすならば、その淫欲をしだいに除くことができる。欲望をなくすのではなく欲望を変えてゆくのである。性欲をたち切ることはできないが転換させることは可能なのである。瞋恚(しんに)とは、怒りのことである。世の中には気が短く、ちょっとした事にも腹をたてすぐに怒りを発して人を罵(ののし)ったり、打ったりする人がいる。このように瞋恚が多い人でも、常に観世音菩薩を念じていれば瞋恚を離れることができる愚痴とは、この人生も自分のまわりの環境も無常であることを知れば愚痴をいうことはなくなるものである。愚痴は変化する人生を変化しないものと考えるから起こる迷いにすぎない。人間はどんなに愚痴をいったところで自分自身も自分をとりまく環境も変わるものではない。愚痴をいう暇があるなら一瞬でもよいから観世音菩薩のことを念ぜよ、というのが経文の教えである。


次回につづく。


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第25章 観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)その1



2017 3 5

世の中の人の悩みを観てくださる観世音菩薩。


◎観世音菩薩普門品 .................. 観音経として独立したお経となった。

観音さまはその容姿がたいへん美しい。聖観音(しょうかんのん)にしても千手観音(せんじゅかんのん)にしても如意輪観音(にゅいりんかんのん)にしてもその端麗な容姿をじっと見ているだけで、心の中まで洗われる気がする。どんな人生の苦難にも耐えうる勇猛心をそなえながら、あらゆる人々を救ってくださる慈愛のあふれた姿が観音の特徴である。

観音経は日本人にもっとも広く読誦されたお経のひとつである。観音経は現世利益を説いた通俗的なお経であると思われるが、実は「浅きは深きなり」であって、これほど宇宙の生命の用(はたら)きを見ごとに解き明かしたお経はない。だからこそ東アジアの人々に時代と地域と人種をこえて読誦されて信仰されたのである。

観音さまは人間の相に即しながら人間の煩悩の炎を消し去った超人的な相をあらわしている。

観音経は正しくは「妙法蓮華経」第25品の「観世音菩薩普門品」なのである。「観音経」の功徳は、はかり知れないものがある。観音経を平素読誦していたために生命が救われたり、あらゆる災難からのがれることができたという霊験(れいげん)話は日本でも中国でも無数にある。それほど観音経はわれわれの願いをかなえてくれるし、多くの衆生の危難を救ってくれるのである。


「観世音菩薩普門品」の「観世音」というのは「世を観ずる」ということである。「世音」とは世間の人の声であり、われわれの悩みのことである。観とは観察することで世の中の人の悩みを観てくださるのが観世音ということである。

「普門品」の普門というのは、(あまね)くすべての者を入れるという意味でありどんな人でも入れることである。どんな人でも入れるということは、すべての人々を救ってくださるということである。


次回につづく。


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第24章 妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)その2



2017 3 1

死を自覚するときに、仏の道が目ざめることができるようになる。


◎妙音菩薩の訪問

釈迦仏に供養する .......... 仏の恩を感じてその恩に報いることである。

法華経を聴く ..................... 法華経の教えこそ、真実の教えだからである。

仏の教えを手伝う ........... 教えを世の中に弘めようとする立派な菩薩を自分のお手本にしようとしていること。

この三つの心がけがなければ、悟りを開くことはできないのである。

仏は妙音菩薩の過去世について語り始めた。ずっと昔に雲雷音王(うんらいおんおう)という仏がいた。その雲雷音王仏には三つの名前がついていた。それは、多陀阿伽陀(ただあかだ)、阿羅訶(あらか)、三獏三仏陀(さんみゃくさんぶっだ)という名前であった。多陀阿伽陀とは如来のこと、阿羅訶とは応供(おうぐ)のこと、三獏三仏陀とは正徧知(しょうへんち)のことである。如来とは仏の永遠の生命をあらわす。永遠の実在としての法身仏(ほっしんぶつ)がそれにあたる。応供というのは、仏の慈悲をあらわす呼び名で、正徧知は仏の智慧のことである。

神通力を表す妙音菩薩はたったひとりと考えてはならない。この菩薩の神通力によれば、種々の身を現ずることができいたる所に身を現し教えを説くことができるのである。衆生の中には能力のすぐれた人もいるし劣っている人もいる。決して同じではない。善人もいれば悪人もいるどんな人にもその人に応じて教えを説くことができるのが仏なのである

妙音菩薩は梵天、帝釈、自在天など三十四身に現じて教えを説くことができる。このように妙音菩薩は相手がどんな境遇にいても必ずそこへ行って救ってやる。地獄で苦しんでいる者、餓鬼道におちて食べることができない者、畜生道の中で畜生になりはてている者などをみな救うことができるのである。

死を自覚するとき人はこの世に存在しているすべてのものをまったく新しい目で見ることができる。健康なときは全く思いもよらなかった事柄がひしひしと自分の心に迫ってくるものである。たとえば、がんの宣告をうけ自分の死が何ヶ月後に確実におとずれることを知ったとき、今まで生きてた世界がなんと虚しく見えてくることか。名誉も富も権力も何と虚しいことか。かくして仏の道が目ざめることができるようになる。

追伸、生きてる今元気なうちに、早く仏の道に目ざめて欲しいものです。(西洲)


次回は、いよいよ第25章、観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんぼん)に入ります。


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プロフィール

白蓮の香り

Author:白蓮の香り
白蓮堂のブログにご訪問ありがとうございます。神界、霊界、人間界(魂.心.肉体)は綿密に繋がっています。少しでも多くの人々に真実を知っていただきたく思い仏教の中での最高峰の経典、「法華経」をご紹介させていただきます。私(渡辺西洲)が勧める¨本物の法華経¨と出遭えたなら、あなたに、奇跡が起きます! 一人でも多くの人にご縁がありますように ....... (合掌)

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