釈尊と十大弟子、その10(迦旃延.かせんねん)



2018 3 25

教えをわかりやすく説くことに長(た)けていた迦旃延(かせんねん)....。


◎ 釈尊の十大弟子........ 釈尊の率いる仏教教団には、聖者の最高の境地である阿羅漢果(あらかんが)の悟りを開いた弟子が500人いた。その弟子を中心に、多くの信者が集まり、仏教教団を構成委していったのである。「十大弟子」 と 呼ばれる人々は、その中核となって教団を支えた弟子たちのことを指す

☆広説(こうせつ)第一、論議第一 カーティヤーヤナ、別名を迦旃延(かせんねん)

※苦労しながらも異国の地での布教に励む


広説(こうせつ)第一、教えをわかりやすく説くことに長(た)けていたカーティヤーヤナ(迦旃延)は、辺境で布教をしていたため、さまざまな障害を乗り越えなければならなかった。なかでも授戒(じゅかい)の問題は深刻だった。これから紹介する話は、カーティヤーヤナ(迦旃延)の辺境での苦労を伝えるとともに、戒律に対する釈尊の柔軟な姿勢を物語っている。

カーティヤーヤナ(迦旃延)は、コーサラ国のはるか西、アバンティ国で、布教をしていた。あるとき、彼の侍者(じしゃ)であるソーナコーティカンナという青年が、自分も出家して修行の生活を送りたいと言い出した。だが、仏教教団に入り出家者としての生活をするためには、具足戒(ぐそくかい)という僧の守るべき戒を受けなければならない。その儀式には3人の師と7人の比丘(びく、出家者)の証人がなければならない。つまり10人の出家者が必要だった。ところが、アバンティ国には、僧がほとんどいない。

だが、カーティヤーヤナ(迦旃延)は、苦労の末、なんとか10人の僧を集め、ソーナに戒を授けて出家させてやったのであった。出家したソーナは、釈尊に会いたいという望みを叶(かな)えるべく、許されて旅立つことになった。そのとき、カーティヤーヤナ(迦旃延)は、ソーナにこう言った。「ソーナよ、世尊に会ったらこのように伝えてほしい。遠い異境の地では、僧の数がきわめて少ない。どうかこれからは、具足戒を授ける僧の数を減らすことをお許しください、と」

長い旅をつづけ、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に着いたソーナは、釈尊に会ってカーティヤーヤナ(迦旃延)の伝言を告げた。ソーナの言葉に耳を傾けていた釈尊は、静かに言った。

「アバンティ国においては、5人の僧によって具足戒を授けることを許そう」 そのほか、文化や自然環境の違いで守ることの難しい2,3の戒をその風土に合わせて改めることを許したのであった。 (釈迦の本(学研)、その他参照)


追記、10人の出家者が必要というルールは絶対だと思いがちですが、お釈迦さまはここでも柔軟な考えかたを示されました。状況に応じて対応すれば良いというのは、10人の証人を探すことより、戒を守り実践していくことを重んじられたからだと考えます。
臨機応変に考え、対応していくというのも大切なことだと思います。 (白蓮堂)

次回につづく。


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釈尊と十大弟子、その9(大迦葉)



2018 3 18

実質的な釈尊の後継者として活躍した大迦葉....。


◎ 釈尊の十大弟子........ 釈尊の率いる仏教教団には、聖者の最高の境地である阿羅漢果(あらかんが)の悟りを開いた弟子が500人いた。その弟子を中心に、多くの信者が集まり、仏教教団を構成委していったのである。「十大弟子」 と 呼ばれる人々は、その中核となって教団を支えた弟子たちのことを指す

☆頭陀(ずだ)第一 マハーカーシャパ、別名を大迦葉(だいかしょう)、摩訶迦葉(まかかしょう)

※清らかな精神を追い求めた釈尊の後継者


マハーカーシャパ(大迦葉)は、頭陀行第一といわれた。頭陀行というのは衣食住に対する執着を払いのけるために実践しなければならない行のことである。たとえば、ボロで作った衣を着なければならない(著幣廼納衣、じゃくへいのうい) という行では、彼は釈尊からもらった糞掃衣(ふんぞうえ)をまとって生活をした。あるいは、常に托鉢(たくはつ)して歩き、(常行乞食、じょうきょうこつじき) 、布施(ふせ)されたものを一日1食だけ摂って生活する(受一食法、じゅいちじきほう) という行も、その通りに実践した。彼は出家してから生涯を終えるまで、このような頭陀行を実践し続けたのであった。 

マハーカーシャパ(大迦葉)は本名をピッパリといい、裕福なバラモンの子として生まれた。幼いころから求道心(ぐどうしん)が篤(あつ)出家に対する激しい憧(あこが)れを持っていた。父母は、子どものそうした望みを知っていたので、早く嫁をとらせ、家を継がせようとした。結婚すれば、落ち着くと思ったのである。ピッパリが年ごろになったとき、父母は言った。「嫁を迎え、早く安心させておくれ」 だが、出家の望みを絶ちがたいピッパリは、黄金の娘の像を作らせて、父母に結婚を断るための条件を出した。

「もし、光り輝くこの像より美しい乙女がいるようなら、結婚いたしましょう」 父母は、人をやってそれより美しい娘を探し出したのである。バッダー.カピラーニというバラモンの娘であった。嫁にふさわしい娘がいたときいたピッパリは、自分の眼で確かめるために托鉢する修行者に身をやつして、娘の家を訪ねた。そこで施(ほどこ)しを乞(こ)うと、出てきたのはパッダーであった。これが話に聞いた娘に間違いないと思ったピッパリは、正直に身分を明かし、生涯独身で清浄(せいじょう)な生活を送りたいという自分の望みを素直に打ち明けたのである。「ああ、その話を聞いて安心いたしました。実は私も同じ思いだったのです」 なんとバッダーも同じ希望を持っていたのであった。

二人は、それぞれの親を安心させるために結婚することにした。だが、決して床を共にすることはしなかった。月日は流れ、すでに父母も亡くなった。だが、二人の清浄な関係は変わらない。ある日、油を搾(しぼ)り取ろうと胡麻(ごま)を乾かしていたバッダーは、そこにたくさんの小さな虫を見つけた。今まで油を作るために、知らずに虫を殺していたのかもしれない。その罪を思うと、殺生(せっしょう)するわが身があさましく思われた。そのころ、畑で農作業をしていたピッパリ(大迦葉)も、また、同じ思いにとらわれていた。帰宅した二人は、お互いの気持ちを語り合い、ついに家を捨てて出家することにした。家財をことごとく使用人に分け与えると、自分たちは衣となる布一枚と鉢(はち)を持って旅立ったのであった。

良い師に巡り会ったら必ずお前に知らせるそれまでは別の道を歩もう」 二人は再会を約束してそれぞれ別の道を歩いていった。

妻と別れ、各地を旅して回ったピッパリ(大迦葉)は、ニグローダの樹の下に座っているひとりの聖者に出会ったその姿は見るだけで心が清らかになるようであるその聖者こそ釈尊であった

あなたより他に私の師はいませんどうか私を弟子にしてください」 こうしてピッパリ(大迦葉)は釈尊の弟子となり、カーシャパ(カッサパ)族の出身であるため、以来マハー(偉大なる)カーシャパと呼ばれるようになったのである。教えを聴いて8日目、マハーカーシャパ(大迦葉)は悟りを開いた

尼僧(にそう)教団ができると、マハーカーシャパ(大迦葉)は、神通力で妻のバッダーを捜し出し弟子入りさせた。釈尊の入滅後は、その教えをまとめるなど、実質的な後継者として活躍したのは知られる通りである。 (釈迦の本(学研)、その他参照)


追記、
裕福な家庭にお生まれになった大迦葉。豊かだった生活の全てを捨てて出家されてから亡くなるまで頭陀行を実践されました。
自分にはこの道だという強い信念で貫かれたことが大きいと思います。そして、幸運にもお釈迦さまと出会いお弟子になります。
出会うなり「私は世尊の弟子です」と一方的に宣言したところに大迦葉の強い気持ちが表れています。そして八日後に独力で悟ったということです。釈尊は摩訶迦葉尊者の能力を見抜かれた上でお弟子になることを許されたのかもしれませんね。このエピソードには、私たちには想像もつかないものがあります。 (白蓮堂)

次回につづく。


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釈尊と十大弟子、その8(須菩提)



2018 3 11

須菩提(しゅぼだい)
解空(げくう)第一、無諍(むそう)第一、.被供養(ひくよう)第一といわれた、....。


◎ 釈尊の十大弟子........ 釈尊の率いる仏教教団には、聖者の最高の境地である阿羅漢果(あらかんが)の悟りを開いた弟子が500人いた。その弟子を中心に、多くの信者が集まり、仏教教団を構成委していったのである。「十大弟子」 と 呼ばれる人々は、その中核となって教団を支えた弟子たちのことを指す

☆解空(げくう)第一 スブーティ、別名を須菩提(しゅぼだい)

※無欲無諍でだれよれも厚く供養を受ける


スブーティ(須菩提)は、誰よりも釈尊の教えである「」 をよく理解していたという意味で、解空(げくう)第一といわれた。また、決して言い争いをしなかったので無諍(むそう)第一、信者からの供養を誰よりも厚く受けたので被供養(ひくよう)第一ともいわれた。

スブーティ(須菩提)の父は、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)を寄進したスダッタ(須達、しゅだつ)長者の弟である。叔父が、祇園精舎を釈尊に献納(けんのう)したとき、彼も参列して、釈尊の教えを聴いたことがある。そのとき、深く心を動かされ、ただちに釈尊に願い出て出家し、仏弟子となったのである。

あるときスブーティ(須菩提)は、ラージャグリハに行って説法をした。その説法に感激したビンビサーラ王は、スブーティ(須菩提)のために小屋を寄進した。ところが、王はうっかりして、その小屋に屋根を葺(ふ)かせるのを忘れてしまった。スブーティ(須菩提)は、文句一つ言わずに屋根のない小屋に住んだところがその間一滴の雨も降らなかったのであるスブーティ(須菩提)の徳を高く評価した天が雨を降らせなかった、といわれている。

何か月もの間、一滴の雨も降らなかったので、農民はじめ多くの人々が困った。こんなに日照りが続くのは、スブーティ(須菩提)の小屋に屋根がないためではないか。人々は、そう噂するようになった。それに気づいた王は、急いで屋根を葺かせた。スブーティ(須菩提)の小屋に屋根ができると途端に雨が降り始めたのである。干天(かんてん)に慈雨(じう)。多くの人々が救われたのであった。スブーティ(須菩提)は、屋根のない小屋に何か月も住みながら、王に催促することもなく、王を恨むこともなかった。

この世はすべて仮の姿屋根があろうがなかろうが、スブーティ(須菩提)は全くこだわらなかったのである。小屋を寄進した王の供養を、ただ厚く受け取っただけなのであろう。 (釈迦の本(学研)、その他参照)


追記、このお話から感じる事は、不平不満は口に出さずとも、周りを恨まなくても、本当に必要なものは天が与えてくださるという事ではないだろうか。こだわりがあるから不平不満が顔を出す。被供養第一と言われるほどに須菩提様が供養を受けることができたのはなぜだろうか?無諍第一という穏やかで大きな器が人々の信頼を集め、信者さんもたくさんいてその人望が被供養第一ということにつながっていったのでしょうね。今の世の中にも通用する話のように思います。 (白蓮堂)

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釈尊と十大弟子、その7(阿那律)



2018 3 4

眼の見えない弟子の衣を縫(ぬ)う釈尊。釈尊を中心とする仏教教団の一つの微笑ましい姿が........


◎ 釈尊の十大弟子........ 釈尊の率いる仏教教団には、聖者の最高の境地である阿羅漢果(あらかんが)の悟りを開いた弟子が500人いた。その弟子を中心に、多くの信者が集まり、仏教教団を構成委していったのである。「十大弟子」 と 呼ばれる人々は、その中核となって教団を支えた弟子たちのことを指す

☆天眼第一 アニルッダ、別名を阿那律(あなりつ)

※睡魔に打ち克つ行の末に得た「真理を見る眼」


釈尊は、いつものように弟子や多くの信者たちに教えを説いていた。人々は、熱心にその声に耳を傾けている。すると、その中に一人うとうとと居眠りをする者がいるではないか。アニルッダ(阿那律)であった。

釈尊は、説法が終わると、アニルッダ(阿那律)を近くに呼び寄せて言った。「お前は、法を求めて出家したはずではないか。にもかかわらず、説法の最中に居眠りをしてしまう。どうしたのかね」 「申し訳ございません。気が緩んでおりました。今日から、たとえこの身が溶けてただれようとも、決して御仏(みほとけ)の前で眠るようなことはいたしません」 アニルッダ(阿那律)は、釈尊のまえに跪(ひざまず)き合掌して誓ったのであった。

以来、アニルッダ(阿那律)は釈尊のそばにいる間、夜更けであれ夜明けであれ、決して眠らなかった。かつて極端な苦行を否定して中道(ちゅうどう)を唱え悟りへの道を歩んだ釈尊は、さすがに心配して声をかけた。「アニルッダ(阿那律)よ、怠けることはもちろんよくないが極端な修行もいけません。さあ、お眠りなさい」 だが、釈尊の前で立てた誓いを、アニルッダ(阿那律)はどうしても破る気にはなれなかった。そのために眼が悪くなった。釈尊は、医師のジーヴァカにアニルッダ(阿那律)の眼の治療を頼んだ。だが、はじめから眠ろうとしない者には、いかに名医といえども手の打ちようがなかった

すべてのものが食事を摂ることによって存在している耳には声が食事であり鼻には香りが食事である。そして、眼には眠りが食事なのです。アニルッダ(阿那律)よ、もうお眠りなさい」 釈尊は、もう一度睡眠を勧めたが、アニルッダ(阿那律)の決意は固く、決して眠ろうとしなかった。そのため、とうとう失明してしまったのである。

アニルッダ(阿那律)が天眼第一といわれるようになったのは、肉体の眼を失ってからである。視力を失って、何も見えなくなってしまったとき、アニルッダ(阿那律)の永遠の真理を見る智慧の眼は明るく開かれたのであった。あるいは、これがアニルッダ(阿那律)の求めていたものだったのかもしれない。それからどのくらいの月日がたったときであろうか。ある日、アニルッダ(阿那律)は、自分の衣がほころびてしまったので、繕(つくろ)おうとした。だが、目が見えぬため、針に糸を通すことができない。「悟りを開かれた方々よ、私の針に糸を通して、さらに功徳を積もうとする方はいらっしゃいませんか」 すると、遠くから声がした。「アニルッダ(阿那律)よ、私が功徳を積ませてもらいましょう。さあ、その針と糸をよこしなさい」

それは、まぎれもなく釈尊の声である。「世尊よ、私は、悟りを開いた者で、この針に糸を通すことによって、さらに功徳を積もうとする者はいないか、と言ったのです。すでにあらゆる功徳を積まれ一切を成し遂げられた世尊にお願いするためではありません」

「アニルッダ(阿那律)よ、功徳を積むことにおいて私に勝る者はいないはずだ私は多くの功徳を積みたいと思っているでもそれは決して私自身のためではなく生きとし生けるものを救いたいがためなのだ」 釈尊はこう言うとアニルッダ(阿那律)の手から針と糸、そして衣を取ると、ほころびたところを繕い始めたのであった。

釈尊の心を知って、黙って衣を繕ってもらうアニルッダ(阿那律)。眼の見えない弟子の衣を縫(ぬ)う釈尊。釈尊を中心とする仏教教団の一つの微笑ましい姿が、まるで目に見えるようではないか。 (釈迦の本(学研)、その他参照)


追記、 アニルッダは肉体の眼を失っても智慧の眼を授かったのですね。眼には眠る事、耳に素敵な声(音楽もそうでしょうね)を聞き、鼻にはよい香りを(花の香りかな)それが栄養になっていくのですね。そう考えると、眼の栄養素には環境を整え(綺麗なものを見たり、安眠できる環境を作り、耳の栄養には気分が上がるような音楽鑑賞や歌を歌ったり、(現代ならカラオケなど気分もいいですよね!)そして、自分の口から出た言葉は一番最初に自分の耳に入りますよね。心が穏やかになるような優しい言葉を使うことも大事ですよね。

一切を成し遂げられて、徳積みの必要がないと思われていた御釈迦様ですが、自分のための徳積みではなく、また、弟子という立場に関係なく、生きとしいけるもののために徳積み…との言葉には素晴らしさを感じますね。お釈迦様のすべての生きとし生けるものの幸せを願う気持ちがあらわれていますね。 (白蓮堂から)


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