第14章 安楽行品 その2



安楽行2
どんなことがあっても瞋(いか)らない。 (忍辱(にんにく)の修行)



◎いかに身をふるまうか............ 身安楽行(しんあんらくぎょう)その1

まず身安楽行については、行処(ぎょうしょ)、親近処(しんごんしょ)の二つに分けて説く。行処とは自分の身のふるまいについての基本的な心得を説いたものである。たえず忍辱(にんにく)の心を保ち、柔和善順(にゅうわぜんじゅん)で卒暴(そつぼう)でなく、どんなことが起こってもあわてふためくことなく、自分は他人とちがった特別なえらい修行をしているなどと思いあがることなく、物事のほんとうのすがたをよく見とおし、わざとらしい作為を行わないことを行処といい、身のふるまい方の根本を説いている。

菩薩の行を積むべき者のまず第一の心持ちは、忍辱(にんにく)の心をもつことである。忍辱とはどんなことがあっても瞋(いか)らないことである。他人がどんなに迫害を加えても嘲笑しても瞋(いか)らないし、他人が誉(ほ)めても少しも驕(おご)りたかぶることがないのが、忍辱の心をもつことである。しかし、忍辱行というのは小人(しょうじん)や愚者には実行できない。だからこそ「遺教経」(ゆいきょうぎょう)では、

忍の徳たる、持戒苦行(じかいくぎょう)も及ぶあたわざる所なり、よく忍を行うものはすなわち名(なづ)けて有力(うりき)の大人(だいにん)となす。

と説くのである。忍の功徳は、戒律を守ることや苦行を行うことよりも大切であり、忍辱を行なえる人こそ、もっとも力のある大人(だいにん)であると説く。

次は柔和善順(にゅうわぜんじゅん)である。柔和とは言葉や態度がただ柔(やさ)しいということではない。自己中心の考え方がなくなった人のことである。我執(がしゅう)といって自分へのとらわれがない。だから柔和になれる。善順は仏の教えによく順(したが)う。正しい教えに順うことである。「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉があるが、柔和な顔と、人に対する慈愛のある、おもいやりのある言葉こそ、完成された人のすがたにほかならない。

他人に対して柔和である人は、あらゆる境遇の変化に対してまったく微動だにすることがない。さらに自分のやることは偉いのだ、世間の人とは別だというように思わない。ほんとうに打ちこんでいると、自分のやっていることが世間の人より偉いのだというようなことは一切考えない。ただやる、ただ行う、それだけである。誉(ほ)められるからやるのではない。

このような気持ちになってくると、透徹(とうてつ)した心境になる。心が透明になる。心が透明になるとあらゆることが見えてくる。ものの真相がはっきり見えるようになる。それを経文では 「諸法如実(しょうほうにょじつ)の相(そう)を観(かん)じて」と説く。身安楽行では、まず菩薩の身の処し方の基本、心がまえを説き、次に親近処(しんごんしょ)を説く。


続きは次回…

法華経の入手の仕方や方法は

※くわしくは、白蓮堂のホームページをご覧ください(^_^)v
 
↓↓

↓↓

法華経と共に! 白蓮堂 
http://www3.hp-ez.com/hp/magokoro18
 


コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

白蓮の香り

Author:白蓮の香り
白蓮堂のブログにご訪問ありがとうございます。神界、霊界、人間界(魂.心.肉体)は綿密に繋がっています。少しでも多くの人々に真実を知っていただきたく思い仏教の中での最高峰の経典、「法華経」をご紹介させていただきます。私(渡辺西洲)が勧める¨本物の法華経¨と出遭えたなら、あなたに、奇跡が起きます! 一人でも多くの人にご縁がありますように ....... (合掌)

カテゴリ
最新記事
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
訪問者
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
ランキング
ことわざ
Powered by www.seiku.net
白蓮堂からのことば!
仏像
トライしてみて!
誕生日占い
相性占い!
QRコード
QR