第18章「随喜功徳品」その4



悪鬼
悪鬼も法華経には太刀打ち出来ない!



◎正しい修行とは

「法華経」の教えを他人に聴くことを勧めただけでも、大いなる功徳を得ることができる。
まして一心に聴き、一心に説き、一心に読誦(どくじゅ)し、さらに大勢の人々の中に入って細かく説き分けて、その教えを実行するならば、その功徳がいかに大きいかを、仏は彌勒に観ぜよ、とお命じになった。観ずるということは単に見るのではない。心でしっかりと念う(おもう)ことである。真理を心で念うことである。じっとその真相を見分けることである。

まず一心に聴くこと。聴かなければその教えはわからない。
次には他の人に自分の力に応じて一心に説くことである。さらに一心に読誦することである。

かつて習い覚えた「法華経」を一心に念誦(ねんじゅ)していた若い僧が、悪鬼から逃れることができた話もある

ここで大切なのは「一心」ということである。一心とは無我の心ということである。そこに私情が少しでもあってはならない。一心に説くことは相手と一つになって説くことにもなる。相手と自分の心がまったく一つにならなければ一心には説けない。一心に説くだけではだめで「説のごとく修行せんをや」とあるように、教えのとおりに実行することによって完全となる。随喜の心は実行によってこそ本当にその精神が示されるのである。

修行にもいろいろある。武人が相手を殺すことだけ考え、殺人刀を鍛錬していればその剣はついには魔剣となり邪剣となる。沢庵禅師の「不動智神妙禄」。は当時の剣が人を斬るためだけの邪剣に堕し、魔剣に陥っていたのを正すために、当時の徳川家の指南役である柳生宗矩(やぎゅうむねのり)のために書かれたものであるが、剣の道と禅の道がまったく一つであり、その究極の目的とするところが「剣禅一如」(けんぜんいちにょ)であり、「とどまる心」すなわち煩悩、執着をたち切ること剣の道としなければならないことを説いた。

宗教の修行においても、ただひたすら坐禅を組めばよい。念仏をすればよい。題目を唱えればよいというものではない。「如説修行」(にゅせつしゅぎょう)とあるように「法華経」の教えに従って、教えの通り修行するのでなくては、悪魔や、悪鬼や小乗の羅漢(らかん)にはなれても、仏にはなれない

次回に、つづく。


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