第20章「常不軽菩薩品」その4



忍耐
「法華経」の教えを自分のものにするためには。


◎無限の修行

この常不軽と言われた人が一生の間、他人を軽んずることなく善い行いを積んで、まさに入滅しようとするとき、虚空の中で、威音王如来が先に説かれた「法華経」の偈文を聴いて六根がすべて清浄となった。

常不軽菩薩が人に笑われても、罵られても、石をぶつけられても杖で打たれても、どんなことがあっても相手を礼拝し、教えを説くのは、大いなる忍辱の行である。菩薩の行は忍耐を基本とする。「菩薩生地経(ぼさつしょうじきょう)」には次のように説かれている。

菩薩の行は忍耐を本となす。忍耐に四種あり。一には罵り(ののしり)を受けても黙して報いず。二には打たれても恨まず。三には怒るものあれば情けを持って迎え、四には侮(あなど)るものあれば、その悪を思わず。

これを見ても、忍耐ということが菩薩の修行にとっていかに大切なものであるかがわかる。
まず第一には、どんなに人に罵られても、黙ってこれに対して応じない。弁解もしないことが大切である。どんなに罵られても、一言も言わない修行は、並大抵の人間人間のよくなし得るものではない。本当に心の中に深く期する大願心がなければそれはできない。
第二には、打たれても恨みを持たないことも普通の人にはできないことである。打たれればまず恨みを持つ。あるいはすぐにでも打ち返したくなるし、喧嘩になる。しかし大いなる願いと教えを弘める不惜身命(ふじゃくしんみょう)の思いをしっかりと保っていれば、打たれても恨みを持たなくなる。むしろ、打った人に憐れみを抱くようになることこそ菩薩に近づくことなのである。忍耐こそ最高の勝利にほかならない。
第三には、怒るものがあれば情けをもち、憐れみを持って迎え入れてやる度量の大きさが必要である。人間の大きさが何倍とちがわなければ、相手をゆすることはできないものである。相手と対等の力量にあるからこそ怒るものに対しては怒りで報いるようになる
第四には、侮辱を受けた場合である。自分を侮るものがあっても決してその悪を思わない。かえって相手に対して憐れみの気持ちを持つことが必要なのである。迫害に対して耐え忍ぶことができるひとは、また誘惑にも打ち克つことができる。忍耐力のない人は、自分が得意の時にはすぐに有頂天になる。忍耐力のある人は誘惑にも乗せられることがない。

この常不軽菩薩は、このように立派な心構えを持っていたために、「法華経」の教えもすっかり自分のものにすることができた。そして、六根清浄を得おわると、さらに寿命を長年月増すことができ、人のために広く「法華経」を説いたのであった。
このように常不軽菩薩が立派な「法華経」の行者になると、増上慢の人々もこの菩薩がただの人でないことにだんだん気がついてきた。この人が、大神通力や大弁舌力や不動の力をもってきたことを知ると、だんだんとこの菩薩の言うことを感服して聴くようになった。常不軽菩薩はさらに多くの人々を教化し、最高の悟りに入らせた。さらに人に教えるばかりでなく、たくさんの仏にお仕えした。

常不軽菩薩はこのようにして、長い間の修行が成就して、ついに仏の境涯に到達したのであった。いわゆる歴劫修行(りゃくごうしゅぎょう)が完成したのである。歴劫修行というのは、無限に長い時間に繰り返し修行を続けることによってついに修行を完成させることである。

次回につづく。


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