清らかな心で
心を主とし
心によって成り立つ
もしも汚れた心で話したり行ったりするなら
苦しみがその人につきしたがう
車を引く牛の足跡に車輪が付いていくように
(法句経1)
物事は心に支配され
心を主とし
心によって成り立つ
もし清らかな心で話したり行ったりするなら
楽がその人につきしたがう
影が体から離れないように
(法句経2)
法句経では、1つの事柄を二つの詩で説いています。
ですから、この2つの教えはひと組として学ばせていただきます。
汚れた心のままでは何を話してもどんな行動をしても「苦」がずっとついてまわるのだと。
対句の方では、言葉も行動も清らかな心にしたがえば、「楽」とともに生きていくことが出来る…。
ここでいう楽はとらわれのない心の安らぎ、生きている心の喜びです。
そういう単純で生の根本に関わることを御釈迦様は2500年も前に人々に語りかけました。
この言葉に人々も「苦しみの元は自分の汚れた心にあったのだ」と目覚めたのです。
清らかな心とは、我欲を一切離れた慈しみと感謝の心でしょう。
これを忘れてしまった時に人の苦しみは始まるのです。
(ブッダいのちの言葉より)
苦しいときほど、愚痴、不平不満を口にしている気がいたします。
自分で「苦」を引き寄せてしまっているのですね…
清らかな心でものごとを考えたり、行動できるようになりたいものですね!
(白蓮堂スタッフ恵さん)から
法華経の入手の仕方や方法は
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