釈尊と十大弟子、その5(阿難)



2018 2 18

釈尊が涅槃(ねはん)に入るまでの25年間、常にそばに仕えてきたアーナンダ(阿難)


◎ 釈尊の十大弟子........ 釈尊の率いる仏教教団には、聖者の最高の境地である阿羅漢果(あらかんが)の悟りを開いた弟子が500人いた。その弟子を中心に、多くの信者が集まり、仏教教団を構成委していったのである。「十大弟子」 と 呼ばれる人々は、その中核となって教団を支えた弟子たちのことを指す

☆多聞第一 アーナンダ、別名を阿難(あなん)、阿難陀(あなんだ)

※経典会議を機についに悟りを開く


釈尊の教えは、文字にして書きとめられ文書の形で残ったわけではない。釈尊の説法を聞いた弟子たちが、それぞれの記憶に留めていたのである。だから、仏教経典の書き出しは、「如是我聞、にょぜがもん」(私はこのように聞いた) で始まっている。

釈尊が入滅すると、その教えがバラバラになってしまい勝手に解釈されることを恐れたマハーカーシャパ(大迦葉)は、すぐに釈尊の教えをまとめる会議(第一結集)を開くことを決意した。会議には、悟りを開いた弟子たちを参加させねばならない。だが、弟子たちのなかから、アーナンダ(阿難)の出席を望む声が上がった。アーナンダ(阿難)は、まだ悟りを開いてはいないが侍者として常に釈尊のそばに仕え行動をともにしていた。釈尊の教えをまとめるに当たって、最も教えを聞いた者多聞第一といわれるアーナンダ(阿難)を欠かすことができなかった

だが、アーナンダ(阿難)自身は、まだ悟りを開いていない。会議に出席することがためらわれた。自分のように悟りを開いていない弟子には、参加資格がない、出席は遠慮しよう。会議の前夜、アーナンダ(阿難)は夜遅くまで思い悩んだ。はじめて侍者となってから釈尊が涅槃(ねはん)に入るまでの25年間、常にそばに仕えてきた。その間、じかに教えを聴いていたにもかかわらず、悟ることができなかったのであった。いや、だから悟ことができなかったのかもしれない。苦しみ悩んだ夜も明け、いよいよ会議の開かれるという日の朝彼はついに悟りを開くことができた。ここに彼を含めて500人の弟子が集まって、ラージャグリハの郊外、七葉窟(しちようくつ)において経典をまとめる会議が始まった。

マハーカーシャパ(大迦葉)が議長を務め、戒律についてウーパリー(優波離)が中心になってまとめ、教えはアーナンダ(阿難)が中心となってまとめたのであった。そのとき、こんな場面があった。「世尊は細かい戒について廃止してもよい、とおっしゃいました」 アーナンダ(阿難)が、釈尊のことばを伝えると、当然のように質問する者が現れた。「具体的にどの戒を廃止してどの戒を残せといわれたのか」 ところがアーナンダ(阿難)はそこまで確認していなかったのである。アーナンダ(阿難)を責める声が上がった。こんなに大事なことを、どうしてきちんと確認しておかなかったのか、というわけである。結局、会議ではこまかい戒をふくめて遵守(じゅんしゅ)しなければならないという結論に達した。だが、このいわゆる‘小小戒’ (しょうしょうかい)の是非(ぜひ)をめぐる議論は後に教団の分裂を招くほどの問題となっていったのである

ところで、アーナンダ(阿難)についてはもう一つ記しておかなければならないことがある。それは、女性の弟子入りつまり尼僧教団を釈尊に認めさせたのは彼の功績だったということである。釈尊は、女性が出家することを許していなかった。釈尊の育ての親マハーパジャパティは、夫であるシュッドーダナ王の死後、自分も出家したいと釈尊に申し出た。だが、釈尊はそれを許さなかった。どうしても出家したいという願いを捨てきれないマハーパジャパティは、同じ思いを抱く釈迦族の女たちと、黒髪を切り、手に鉢(はち)をもって裸足(はだし)で釈尊の跡を追った。

それを知ったアーナンダ(阿難)は、女性の出家を釈尊に願い出た。釈尊はそれを認めなかった。 だが、これまで釈尊に背いたことのないアーナンダ(阿難)は、何回も願い出て、女性の出家の正当性を主張したのであった。釈尊も、それを良しとして女性の出家者を認めたのであった。 (釈迦の本(学研)、その他参照)


追記、釈尊とはいえ、阿難尊者の願いは聞かざるえない。ということですね(^^)/ (西洲)


次回につづく。


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釈尊と十大弟子、その4(釈尊)



2018 2 11

釈尊(ブッダ)は床が整うと、ゆっくりと身を横たえ柔らかな微笑みをたたえながら、
静かに目を閉じた。胸を通り口を過ぎる息が、そっと止まった。

(今回は、悟りをテーマにしましたが、どうしたら悟れると思いますか?)



◎仏陀、涅槃に入る(その2)

鍛冶屋のチェンダの供養した食事に中毒して再び倒れた。............ 「私の生涯にとって最上の食事がふたつあったスジャータの乳粥(ちちがゆ)チェンダの食事だ私はこの2つに無上の感謝を捧げる」 苦しい下痢(げり)に苦しみながら、チェンダの供養の功徳を称(たた)えたのだ。ブッダは、おぼつかない足どりで、ようやく歩みを続けながら、アーナンダ(阿難)に向けてこう告げた。

「私は、老い朽(く)ちて、人生の旅路を終えようとしている。たとえば、古く壊れた車が革紐(かわひも)の助けによってようやく動いているようなものだ。もはや、カピラヴァストゥに着くことはない」 アーナンダ(阿難)は天を仰いで慟哭(どうこく)した。「何を泣くのか。 私が常にいっていることを思い出しなさい生まれたものは必ず死ぬ運命を免れないということを.............. すべてのものは変化し形を変えるという真理を............ ここで生命を失おうとしているのは私の肉体にすぎない私が悟った最高の真理は人々が実践を続ければ生命を失うことはないそこに常に私は生きている永遠に生き続けるのだ。この‘悟り’のみが、全宇宙においてただひとつの絶対不変の真理なのだ」 アーナンダ(阿難)は、それでも泣くことを止めずにブッダが死んだあとは、何を頼りに生きたらいいのかを必死で尋ねた。

自らを(ともしび)’として生きなさい法を(ともしび)’として生きなさい..........」 自分自身の思索と行動を灯として、全宇宙のなかでたったひとつの真理の悟りを灯として生きるべきだと告げたのである。「諸々の事象(じしょう)は過ぎ去るものであるたゆまず怠らず信じた道をただひたすらに進んで修行しなさい.............

清らかな水をたたえた川、ヒランヤヴァーティ河のほとりの静かな美しい村、クシナガラに着くと、ブッダは最期が来たことを知った。「さあ、アーナンダ(阿難)よ。2本のサーラ樹(沙羅双樹、さらそうじゅ)の下に、頭を北に向けて最後の床を作ってくれ。私は、疲れた。私は、横になりたい」 ブッダは床が整うとゆっくりと身を横たえ柔らかな微笑みをたたえながら静かに目を閉じた胸を通り口を過ぎる息がそっと止まった

このとき、天の曼陀羅華(まんだらげ)と、地の沙羅双樹(さらそうじゅ)の木が満開となり、ブッダの体に降り注いだ。修行を完成した正覚の者への無上の供養として捧げられたのである。妙なる楽(がく)が奏(かな)でられ、幽(かす)かな声が流れ、大いなる悲しみの歌となって虚空にこだまし、どこまでも響きわたった。ブッダの苦しみの流転(るてん)はここに終焉(しゅうえん)となり、彼岸に往き渡り、寂静(じゃくじょう)の涅槃(ねはん)に入った。

往った者よ 往った者よ 彼岸に往った者よ
彼岸に完全に往った者よ 悟りに幸いあれ
ここに智慧の心の完成を終わる

(般若心経より)

ブッダの遺体は、川辺に運ばれ、火葬に付(ふ)された。燃え盛る火に体は煙となり、太陽の光を受けて瑠璃色に輝きながら、果てしない無限の空に吸い込まれていった。あたかも、ブッダの教えが歴史の時空を超えて広く遠く深く人々の心の内に受け継がれていったように.................... 。   (釈迦の本、学研参照)


追記、常に釈尊は生きている。永遠に生き続ける。 この‘悟り’ のみが、絶対不変の宇宙の真理ですね! 私は、やっと悟りの境地というのが分かりました。頭でいくら考えても、いっぱい、いい本読んでも無理ということです。(西洲)



次回につづく。


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釈尊と十大弟子、その3(釈尊)



2018 2 4

あらゆる世の中の現象は、‘因縁’(いんねん) によって起きている。



◎仏陀、涅槃に入る(その1)

一切の世の中において
生まれた者はすべて死に帰る
寿命は限りないように見えても
必ず尽きるときがやってくる
盛んなものもいつかは衰えて
病に倒れついには果てるときを迎える


(涅槃経、ねはんきょう)より

人間を遥かに超越し、目覚ましい布教を続けてきた釈尊(ブッダ)も、齢(よわい)80に達していた。自らも ‘そのとき’ が近いことをはっきり知った。ラージャグリハの北東に立つグリッドラクータ(霊鷲山、りょうじゅせん)に居(きょ)を定めていたブッダは、故郷に向けて旅立つことを決める。マカダ国を去るに当たっての最後の説法は、改悛(かいしゅん)して帰依したアジャータシャトル王に対して行われた。王は隣国のヴァッジ族を攻めるかどうかで迷っていた。ブッダはいった。

「ヴァッジの人々は多数が集まって、しばしば会議を開く。共同して行動し、事柄を処理する。制定された法を守り、古老の言葉をよく聞く。良家の子女に暴力をもってあたらない。霊域(れいいき)を敬(うやま)修行者たちへの供養と保護を怠らない。ヴァッジの人々が、これを続ける限りは決して衰退して滅亡することはない」 単に戦いを否定するのではなく、きちんとした事実と理由を語って、非を理解させたのだ。ブッダの判断は、常に構成されている要素や、形作られている事実を冷静に見つめて下されたものだった。あらゆる世の中の現象は、‘因縁’(いんねん) によって起きていることを最後まで説き続けたのである

旅支度(たびじたく)が整うと、ブッダは多くの人々に別れを告げ、アーナンダらの少数の弟子をつれて、遠くカピラヴァストゥを目指した。後に、仏教哲学の研究と精進の大僧院が建立(こんりゅう)されたナーランダを経て、雄大なガンジス河を望むパータリプトラに至った。「大いなる川を橋をかけて渡る人もいる。木や草を編んで筏(いかだ)を作って渡る人もいる。聡明な人はすでに渡り終わっている」 人にはそれぞれ個別の悩みや苦しみがある乗り越えるにはさまざまな方法と手段があってしかるべきだと述べた。人として行うべきではない5つのこと殺生(せっしょう)、偸盗(ちょうとう)、邪淫(じゃいん)、妄語(もうご)、飲酒(おんじゃ) を戒めるように務めれば各種の渡り方があると多くの人に語って聞かせたのである。

この「ゴータマの渡し」 でガンジス河を越し、ヴァイシャリーの都に着くと、遊女アンバパーリーからの招待を承諾した。遅れて、貴族からの招待が寄せられたが、先約を理由に断った。ブッダは最後まで平等を守り抜いた自らが艱難辛苦(かんなんしんく)の末に悟った正覚(しょうかく)は、最後の最後までまったくゆるがなかったのである。

しかしながら、ついに倒れるときが来た。ヴァイシャリーの近くで雨季の定住に入ったとき、恐ろしい病が生じて、耐えがたい激痛が襲ったのだ。かろうじて禅定(ぜんじょう)によって回復して旅を続けたが、途中、鍛冶屋(かじや)チェンダの供養した食事に中毒して再び倒れた。

続きは次回に。     (釈迦の本、学研参照)


追記、お釈迦様の最期のお姿は、感動的です!! 一人でも多くの方々に、アーナンダ(阿難)の気持ちになれたら、世の中は安泰ですが........... (西洲)



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