釈尊と十大弟子、その8(須菩提)



2018 3 11

須菩提(しゅぼだい)
解空(げくう)第一、無諍(むそう)第一、.被供養(ひくよう)第一といわれた、....。


◎ 釈尊の十大弟子........ 釈尊の率いる仏教教団には、聖者の最高の境地である阿羅漢果(あらかんが)の悟りを開いた弟子が500人いた。その弟子を中心に、多くの信者が集まり、仏教教団を構成委していったのである。「十大弟子」 と 呼ばれる人々は、その中核となって教団を支えた弟子たちのことを指す

☆解空(げくう)第一 スブーティ、別名を須菩提(しゅぼだい)

※無欲無諍でだれよれも厚く供養を受ける


スブーティ(須菩提)は、誰よれも釈尊の教えである「」 をよく理解していたという意味で、解空(げくう)第一といわれた。また、決して言い争いをしなかったので無諍(むそう)第一、信者からの供養を誰よりも厚く受けたので被供養(ひくよう)第一ともいわれた。

スブーティ(須菩提)の父は、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)を寄進したスダッタ(須達、しゅだつ)長者の弟である。叔父が、祇園精舎を釈尊に献納(けんのう)したとき、彼も参列して、釈尊の教えを聴いたことがある。そのとき、深く心を動かされ、ただちに釈尊に願い出て出家し、仏弟子となったのである。

あるときスブーティ(須菩提)は、ラージャグリハに行って説法をした。その説法に感激したビンビサーラ王は、スブーティ(須菩提)のために小屋を寄進した。ところが、王はうっかりして、その小屋に屋根を葺(ふ)かせるのを忘れてしまった。スブーティ(須菩提)は、文句一つ言わずに屋根のない小屋に住んだところがその間一滴の雨も降らなかったのであるスブーティ(須菩提)の徳を高く評価した天が雨を降らせなかった、といわれている。

何か月もの間、一滴の雨も降らなかったので、農民はじめ多くの人々が困った。こんなに日照りが続くのは、スブーティ(須菩提)の小屋に屋根がないためではないか。人々は、そう噂するようになった。それに気づいた王は、急いで屋根を葺かせた。スブーティ(須菩提)の小屋に屋根ができると途端に雨が降り始めたのである。干天(かんてん)に慈雨(じう)。多くの人々が救われたのであった。スブーティ(須菩提)は、屋根のない小屋に何か月も住みながら、王に催促することもなく、王を恨むこともなかった。

この世はすべて仮の姿屋根があろうがなかろうが、スブーティ(須菩提)は全くこだわらなかったのである。小屋を寄進した王の供養を、ただ厚く受け取っただけなのであろう。 (釈迦の本(学研)、その他参照)


追記、このお話から感じる事は、不平不満は口に出さずとも、周りを恨まなくても、本当に必要なものは天が与えてくださるという事ではないだろうか。こだわりがあるから不平不満が顔を出す。被供養第一と言われるほどに須菩提様が供養を受けることができたのはなぜだろうか?無諍第一という穏やかで大きな器が人々の信頼を集め、信者さんもたくさんいてその人望が被供養第一ということにつながっていったのでしょうね。今の世の中にも通用する話のように思います。 (白蓮堂)

次回につづく。


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釈尊と十大弟子、その7(阿那律)



2018 3 4

眼の見えない弟子の衣を縫(ぬ)う釈尊。釈尊を中心とする仏教教団の一つの微笑ましい姿が........


◎ 釈尊の十大弟子........ 釈尊の率いる仏教教団には、聖者の最高の境地である阿羅漢果(あらかんが)の悟りを開いた弟子が500人いた。その弟子を中心に、多くの信者が集まり、仏教教団を構成委していったのである。「十大弟子」 と 呼ばれる人々は、その中核となって教団を支えた弟子たちのことを指す

☆天眼第一 アニルッダ、別名を阿那律(あなりつ)

※睡魔に打ち克つ行の末に得た「真理を見る眼」


釈尊は、いつものように弟子や多くの信者たちに教えを説いていた。人々は、熱心にその声に耳を傾けている。すると、その中に一人うとうとと居眠りをする者がいるではないか。アニルッダ(阿那律)であった。

釈尊は、説法が終わると、アニルッダ(阿那律)を近くに呼び寄せて言った。「お前は、法を求めて出家したはずではないか。にもかかわらず、説法の最中に居眠りをしてしまう。どうしたのかね」 「申し訳ございません。気が緩んでおりました。今日から、たとえこの身が溶けてただれようとも、決して御仏(みほとけ)の前で眠るようなことはいたしません」 アニルッダ(阿那律)は、釈尊のまえに跪(ひざまず)き合掌して誓ったのであった。

以来、アニルッダ(阿那律)は釈尊のそばにいる間、夜更けであれ夜明けであれ、決して眠らなかった。かつて極端な苦行を否定して中道(ちゅうどう)を唱え悟りへの道を歩んだ釈尊は、さすがに心配して声をかけた。「アニルッダ(阿那律)よ、怠けることはもちろんよくないが極端な修行もいけません。さあ、お眠りなさい」 だが、釈尊の前で立てた誓いを、アニルッダ(阿那律)はどうしても破る気にはなれなかった。そのために眼が悪くなった。釈尊は、医師のジーヴァカにアニルッダ(阿那律)の眼の治療を頼んだ。だが、はじめから眠ろうとしない者には、いかに名医といえども手の打ちようがなかった

すべてのものが食事を摂ることによって存在している耳には声が食事であり鼻には香りが食事である。そして、眼には眠りが食事なのです。アニルッダ(阿那律)よ、もうお眠りなさい」 釈尊は、もう一度睡眠を勧めたが、アニルッダ(阿那律)の決意は固く、決して眠ろうとしなかった。そのため、とうとう失明してしまったのである。

アニルッダ(阿那律)が天眼第一といわれるようになったのは、肉体の眼を失ってからである。視力を失って、何も見えなくなってしまったとき、アニルッダ(阿那律)の永遠の真理を見る智慧の眼は明るく開かれたのであった。あるいは、これがアニルッダ(阿那律)の求めていたものだったのかもしれない。それからどのくらいの月日がたったときであろうか。ある日、アニルッダ(阿那律)は、自分の衣がほころびてしまったので、繕(つくろ)おうとした。だが、目が見えぬため、針に糸を通すことができない。「悟りを開かれた方々よ、私の針に糸を通して、さらに功徳を積もうとする方はいらっしゃいませんか」 すると、遠くから声がした。「アニルッダ(阿那律)よ、私が功徳を積ませてもらいましょう。さあ、その針と糸をよこしなさい」

それは、まぎれもなく釈尊の声である。「世尊よ、私は、悟りを開いた者で、この針に糸を通すことによって、さらに功徳を積もうとする者はいないか、と言ったのです。すでにあらゆる功徳を積まれ一切を成し遂げられた世尊にお願いするためではありません」

「アニルッダ(阿那律)よ、功徳を積むことにおいて私に勝る者はいないはずだ私は多くの功徳を積みたいと思っているでもそれは決して私自身のためではなく生きとし生けるものを救いたいがためなのだ」 釈尊はこう言うとアニルッダ(阿那律)の手から針と糸、そして衣を取ると、ほころびたところを繕い始めたのであった。

釈尊の心を知って、黙って衣を繕ってもらうアニルッダ(阿那律)。眼の見えない弟子の衣を縫(ぬ)う釈尊。釈尊を中心とする仏教教団の一つの微笑ましい姿が、まるで目に見えるようではないか。 (釈迦の本(学研)、その他参照)


追記、 アニルッダは肉体の眼を失っても智慧の眼を授かったのですね。眼には眠る事、耳に素敵な声(音楽もそうでしょうね)を聞き、鼻にはよい香りを(花の香りかな)それが栄養になっていくのですね。そう考えると、眼の栄養素には環境を整え(綺麗なものを見たり、安眠できる環境を作り、耳の栄養には気分が上がるような音楽鑑賞や歌を歌ったり、(現代ならカラオケなど気分もいいですよね!)そして、自分の口から出た言葉は一番最初に自分の耳に入りますよね。心が穏やかになるような優しい言葉を使うことも大事ですよね。

一切を成し遂げられて、徳積みの必要がないと思われていた御釈迦様ですが、自分のための徳積みではなく、また、弟子という立場に関係なく、生きとしいけるもののために徳積み…との言葉には素晴らしさを感じますね。お釈迦様のすべての生きとし生けるものの幸せを願う気持ちがあらわれていますね。 (白蓮堂から)


次回につづく。


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釈尊と十大弟子、その6(富楼那)



2018 2 25

死ぬ覚悟こそが、「説法第一」 といわれるプールナ(富楼那)


◎ 釈尊の十大弟子........ 釈尊の率いる仏教教団には、聖者の最高の境地である阿羅漢果(あらかんが)の悟りを開いた弟子が500人いた。その弟子を中心に、多くの信者が集まり、仏教教団を構成委していったのである。「十大弟子」 と 呼ばれる人々は、その中核となって教団を支えた弟子たちのことを指す

☆説法第一 プールナ、別名を富楼那(ふるな)

※釈尊をうならせた布教活動への志


説法第一といわれたプールナ(富楼那)には、こんな話が伝わつている。ある夕方、竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)にいた釈尊をプールナ(富楼那)が訪ねてきた。釈尊の前に進み出て、うやうやしく礼拝をしてから言った。

「世尊よ、わたしは、布教の旅に出たいと思います。お別れをする前に、どうか最後の教えをお聴かせください」 教えを説いた後、釈尊は、静かに尋ねた。

「お前は、どこへ布教に行くのですか」

「西の彼方(かなた)、スナーパランタ国へ行きたいと思います」

「 プールナ(富楼那)よ、かの国の人々は気性が荒く、粗暴(そぼう)だと聞いております。もし人々がお前を罵(ののし)り、辱(はずかし)めたらどうします」

「たとえ罵られたとしても、私を殴ったりしないのだから、この国の人々は善い人たちだ、と思うでしょう」

「では、お前を殴ったらどうしますか」 

「私はこう考えます。たとえ殴ったとしても、棒で叩いたりしないのだから、この国の人々は善い人たちだ、と」

「では、お前を棒で叩いたらどうします」

「刀で傷つけないのだから善い人たちと思うでしょう」

「では、刀で傷つけ、お前を切り殺したらどうします」

「世尊よ、世の中には自ら命を絶つ者が少なくありません。誰か殺してくれないかと願う者もいるほどです。ですからそのときは、この国の人々は善い人たちだ、私の命を絶って、この世の悩みから解放してくれるのですから、と思うでしょう」

プールナ(富楼那)行きなさいその心掛けならばきっと多くの信者を得るでしょう

こうしてプールナ(富楼那)は、西の彼方へ旅立ち、多くの成果をあげたという。このような覚悟が、「説法第一」 といわれるプールナ(富楼那)の説法を支えているのであろう。 (釈迦の本(学研)、その他参照)


追記、法華経の第八章(五百弟子授記品)に登場する富楼那尊者、流石ですね。お釈迦様に法を説く覚悟を示した富楼那尊者、究極のプラス思考にも思えますね。どんなことがあっても、「善き人びと」と思う心の広さを感じますね。私たちは物事を不安に捉えるとますます不安になりますが、このお釈迦様とのやりとりは何が起きても悪い事は起こらないと思うことがいいのかなとも思えますね。(白蓮堂)

次回につづく。


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